壮絶な演奏。但し、レコードとして頻繁に聴こうとは思わない
(2008-08-08)
「さらばだ、諸君」
カラヤンが 聴衆に オーケストラに 別れを告げているかの様な演奏である。
魔法にかかった様に絶望をうたうオーケストラ
譜面の読み方がどうこうとか、そういう次元ではない。
音楽は魂だ。
ただ、凄さのあまり? ”レコードとして”
そう何度も聴く気持ちにはなれないCDでもある。
壮絶な名演の「悲愴」
(2008-06-08)
世評の高い、80年代にスタジオ録音されたウィーン・フィルとの「悲愴」は好きではない。
なにせトランペットの音が変で(ピッチが低い?)、1楽章の時点で聴く気が失せてしまう。
(悲愴に限らず、晩年のカラヤン/VPOはトランペットがおかしいものが多い気がする)
さて、この1988年ベルリン・フィル盤はライヴということもあって臨場感と熱が桁違いである。
この時期だからカラヤンもベルリン・フィルも、双方ともに気持ちは切れていただろう。
だが、指揮者とオケは仲が悪ければ演奏もダメということではないらしい。
ザビーネ・マイヤーで一悶着あった頃も、ライヴでは名演が多かったと言われている。
その一つの証明となるような「悲愴」の壮絶な名演である。
カラヤンの気迫も凄ければ、ベルリン・フィルの気迫もまた凄い。
うなりをあげる弦楽器に、咆吼する金管、時折出てきては華やかさを添える木管。
また、カラヤンの「悲愴」は美しいだけで悲愴感がない、という批判はこのライヴ盤においてはあてはまらない。
美しいなかにも救われない暗さのある1楽章、押し潰されるような悲愴感漂う4楽章。
もうすぐ関係の切れることになるベルリン・フィルとだから表現できたのかもしれない。
数あるカラヤンの「悲愴」の中で間違いなくベストだろう。
モーツァルトも良いと思うが、自分自身あまりモーツァルトを聴かないので何も言えない。
恐ろしいほどに「劇的」な悲愴
(2008-06-08)
これだけ「劇的」な悲愴は、他にないのでは…?
カラヤンからの生身の感情をぶつけられているような印象です。
特に第三楽章での表現は凄絶です。こんなすさまじい来日公演だったとは。
これほどの演奏を聴くことが出来るのは、本当に幸せなことです。
モーツァルトの29番ももちろん素晴らしい。こちらは対照的に、美しいかぎり。