今でも「聞くことが出来る」演奏
(2008-02-11)
嘗ては、風貌と相俟って、余りに伝統と自らのスタイルを崩さない指揮者として、実力は評価されても、日本では人気は、今ひとつの指揮者だったクレンペラーだが、30年来のファンとしては、彼の時代が来た!とさえ言いたい。第九を聞くなら、この演奏に限る。ハンス・ホッターらの独唱者の名唱と共に、再現不可能な品格と迫力を保つ名演中の名演。この演奏に比べると、伝説的なフルトヴェングラーも、伝説的なだけに却って、今となれば古臭く、陶酔し過ぎて雑になった点が、気になる。生誕100年のカラヤンは、今となれば、チンドン屋か、軍楽隊の演奏に聞こえる。でも、揺るがない、しっかりとした立場を堅持したクレンペラーはこの演奏に限らず、恒久的な新しさを感じる。古楽演奏やグールドの演奏が出ても、クレンペラーのバッハは、今も同じように古くならない。彼のベートーベンも、マーラーも、ワグナーも今でもちっとも古くない。エルンスト・ブロッホらとの交流にも見られるように、単なる「芸人」ではない音楽学者の側面が、演奏のバックボーンを支えているのだろうか。彼のマイスタージンガーの全曲があれば聴いてみたいものだと思う。昔、「タイム」がクラシックと絵画のアンソロジーをレコード付で出していたが、多くはクレンペラーの演奏だったのは、慧眼だった、とにかく、これからクラシックを聴く人は、彼の演奏から始めるのが良いと思う。
強靭な巨大建造物
(2007-02-15)
スケールのでかさが他の演奏とは比較にならない。
一つ一つの小さな流れが、一つの方向へと向かっている。
その方向性の明確さが、この演奏の特徴だ。
まるで、巨大な大河が大海へと注ぐようだ。
どんな巨大な大河でも、一つ一つの雨粒からなり、方向を見失わないように、このクレンペラーの第9も、まるで何かに向かっていくように、けれども急がず、ゆっくりと流れて行く。
それゆえの、曲が終わった後の言葉にならない感動、他の演奏とはケタ違いの圧倒。
これ以上の第9はありえない。
第九は聴き飽きたという人に聴いて欲しい。
(2005-01-25)
私はフルヴェンの第九よりも、クレンペラーの第九の方がはるかに好きだ。第2楽章が17分かかるという遅さにもかかわらず、非常にリズミカルに聴こえる。こういう曲だったのかと、驚いてしまう第2楽章。それだけでなく、第1楽章冒頭から高度の緊張感を維持し、第4楽章のフィナーレに向けてさらに高揚していく様は、恐ろしいまでのエネルギーである。フルヴェンのように剥き出しのエネルギーではないが、淡々とした流れの中に秘めるエネルギーは、まさにクレンペラーの芸術。これを聴くと、他の指揮者の演奏はさほど大差がないように思えてくる。第九はいろいろ持ってますという人ほど、聴いて欲しい演奏です。