特殊な詩によって開かれる生の深み
(2006-01-18)
これは、もちろん、日本語で書かれ、現代に生きる作者に読まれた、その意味では特殊な条件で生まれた、詩のむれに過ぎない。けれどもまた、その特殊性を通してしか、垣間見られない生の奥行きと広がりがある。
詩は、谷川の詩集の中から、家族に携わった代表作を抽出して並べただけではなく(「いま」「祖母」は書き下ろし)、そこに谷川賢作その他のミニマルな音楽、覚和歌子や村上ゆきの若い女性たちの声が絡んで、一つの生命の誕生から、一つの生命の終焉まで、「しんだあとがうまれるまえと/まあるくわになってつながっている」(「鈴をつけた天使」)家族のドラマに、宇宙的な広がりを与えている。
私の家族は、こんな家族ではなかったはずなのに、言葉の削出力にかき分けられて、記憶の襞から、そんな家族の表情や所作を垣間見た、そうでなくとも、どこかで見た、という気になる。
特に、老いた谷川が子供の声を、若い村上らが母親の声を交わすような詩の中では、聞いている自分が今何歳なのかが分からなくなり、ひとつの深い生の次元に立ち会っているようになり、ふと我にかえると目尻から涙がこぼれて熱い。
言葉の力を思い知らされる贅沢な作品だ(もちろん言葉のおおもとには、生そのものが控えているのだけれども)。もしこんなコンサートがあったら、是非にでも駆けつけたくなるだろう。それが眼の前で聞け、詩の余韻が欲しいときには、一時、ポーズもかけられるのだから、これを入手しない手はないだろう。
もちろん、その声が、それ以前に読んでいた読み方と異なっていて、逆に想像力を限定するような局面もあるかもしれないが、詩は詩として、冊子にもなって付いているので、自らの世界と、谷川自身の世界と、双方と出遭えば良かろうと思う。
私は、この作品と出会える同時代に生きられて、幸せだった。
どんぐ"い"やまの"ひ"いおじいちゃん
(2004-06-05)
あかんぼ も ひいおじいちゃん も ここにいます。
「人類の子孫であり祖先であること」の驚きと喜びを
教えてくれてありがとう。
♪”どんぐいやまの たぬきしゃん・・・”には、涙がでそうです。
「とおく」では俊太郎さんの「"ひ"いおじいちゃん」という発音に、
胸がゆすぶられました。おじいちゃんのぬくもりなのでしょうか。
賢作さんが all music 担当。今回は絃箏の音も加わって、
音は”クレーの天使””kiss”よりも深みを増したように感じます。
「さようなら」は"DiVa"(高瀬麻里子さん)でなければと
思っていましたが、”家族の肖像”(村上ゆきさん)によって、
つぶやくような、”もうひとつの「さようなら」”が完成したと
言えるのかもしれません。
ボーナスCDの音質はまさにライブの臨場感で、Tシャツを着た
俊太郎さんが階段を下りて現れてきそうでした。
ほんとうの家族、或いは夢想の家族でも
(2004-06-04)
~見つけたい。
血のつながりのない、ほんとうの家族の絆を。
このCDを聴いて、心落ち着かせることが出来ながらも、自分の過去や環境と照らし合わせると、虚しくなってしまう私は、この「家族の肖像」から何かを紡ぎたい。
それでいいのだと思う。
色々な感動があると思う。
もっと実際的に涙を流す人の方が多いのだと思う。
~~
私の場合は、これから、これからだ。これから未来に、私は魂の家族を築いていきたい。
こんな私にそう思わせることが出来た、谷川俊太郎さん、賢作さんたちは、やはり、素晴らしいのだ。
もし、家族の肖像がはっきり浮かばないような不幸な人がいたら、それでも、何ともなしにこのCDを聴いてみたらよいのかもしれない。と、思います。
~~
だって、谷川俊太郎さんの声は、計り知れないぐらい優しいのだから。
優しすぎるのだから。~