今のキースからは聴けない哲学
(2006-10-16)
録音は1974年秋、30年も経っとるんですね。最近の「Radiance」や「Always let me know」(共に自分自身がライブの会場に居たことも影響しとりますが)を気に入りながら、久し振りに本盤を聴いたら、斬新なアプローチがゴツいですがな。更に初期の「Mourning of a star」に端を発するようなパーカッションはきっとキース自身とギレルメ・フランコ(読み方、合うとりますかな?)はんが演られとります。自在なリズムや広がりが、不思議とRadianceやAlways let me goと一脈通じとる。けど、やはり一番近いのはキースはん自作自演2枚組の「スピリッツ」の世界や。キースの録音で、サックスはいつもキースの専ら邪魔になっとりますけども、ここでのレッドマンもそう。でも、本盤ではサックスすらリズムの脇役として巧く溶け込んどる。キースのピアノさえ中心ではなく、「ミステリーズ」と共通するリズムの世界なんですなあ。一音一音ずしりと腹に響く、ヘイデンのベースはじっくり聴かせて、タイトル曲後半では独壇場やし、2曲めではキースのピアノと負けず劣らず相互の哲学のぶつかり合いですがな。キースのソロに負けんくらい自由なソロがそれぞれに聴かれて嬉しいですわ。終曲「巨鳥」もピアノとサックスが中心のようでありながら、パーカッションとヘイデンのずしりと来る重い音が仕切っとります。総じて、織りなすリズム(パーカッション主導)とキースの哲学が不思議とポピュラーなメロディに乗って聴かれる傑作やと思います。人間、巧くなりすぎて、知り過ぎて失うものもあるなあ、と気付かされる作品。ジャズ、クラシック、人生観、米国の人種の多様性、全共闘世代のようなくそまじめな哲学、こうしたものが混沌とないまぜになった30年前の作のはずの本盤の凄さにはただただ驚くばかりです
プロデューサーってホントに大切だ。
(2003-11-08)
1974年10月9・10日、ニューヨーク、ジェネレーション・サウンド・スタジオで録音。
『フォート・ワウ』・『宝島』に続くインパルスでの第3作。キースはインパルスで計8枚のアルバムを残している。メンバーはキースのピアノにチャーリー・ヘイデンのベース、ポール・モチアンのドラム、デューイ・レッドマンのサックス、ギレルミ・フランコのパーカッション。71年に加入したレッドマンが光っている。いわゆる『アメリカン・カルテット』ではECMの『The Suvivor's Suite』が僕は最高傑作、次がこの『生と死の幻想』ではないかと僕は思う。
全3曲。特にタイトル曲『生と死の幻想』が素晴らしい。2曲目『プレイヤー』はヘイデンとのデュオ曲。3曲目『グレイト・バード』はラテンといった構成だ。プロデューサーはエド・ミッチェル。
でもやっぱりマイフレート・アイヒャーとの差はかなり大きい。プロデューサーってホントに大切だ。
見知らぬ土地での厳粛なセレモニーのような
(2001-08-18)
私は本作を米国在住時に聴いたため、異国のセレモニーのイメージが漂う。セレモニーといっても、おそらく葬儀か、送別か。同じグループによる「残氓」の迫力も凄いが、Death and flowerではパーカッションやピアノが織りなすハイセンスなリズムの上で、サックスがテーマを奏でる。Prayerは葬送のように、より静的になる。でも哀しくない。ピアノが柔らかく包み込むベールのように、やさしく守ってくれる。Great birdでも聴けるように、キースのアメリカン・バンドではアルトサックス、パーカッション(多種入っている)までフルに入ってきた、多彩な楽器が無国籍ぶりというのか、キースのバンドでなければ聴けない音を構成していると思う。最近、スタンダーズトリオでもフリーや即興を始めているようなので、将来本作のような曲がキースのバンドからまた聴けるかもしれないと思うと楽しみだ。