雄弁な楽器の咆哮と強力な推進力!!
(2008-07-07)
クライバーによるベートーヴェン演奏には、様々な論議があるものの、
「演奏をそれ自体」で聴いてみた時に覚える恍惚感は、
何物にも代え難い経験であると思う。
たとえば、通常では聴き逃しがちな弦楽の細かい揺らぎや、金管の物静かな囁きなど、
非常にミクロレベルでのこまやかなまでの響きと、
強奏に転じて、オーケストラのボリュームがアップした時の
推進力に支えられたリズムの冴えと説得力は、
いうまでのなくクライバーでなければ出せない指揮芸術と言えよう。
しかしながら、これをベートーヴェンの楽曲解釈として聴いた時、
はたしてベートーヴェン自身の伝達の真実に達しているのだろうか、
という一抹の疑問が生じないわけでもない。
ベートーヴェンは作品を作り、クライバーは作品を再び作り、
庁舎は作品の出来を再び作り上げられた指揮者を通じて作品を再構成する、
という複雑なフィルターで音楽経験を濾過しているためか、
作曲家の楽譜や人生に対して、
指揮者がマッチしているかどうかの判断は、
なかなか難しい問題を抱えている。
指揮者の多様な解釈を誘発し、許容するという点で、
作品は作品としての存在を確固たるものとしているのに対して、
指揮者は一人の人間として作品に対してある特定の解釈を提示することによって
その存在を確固たるものとしているために、
そのアドバンテッジの在処は容易に想像できよう。
「演奏それ自体」であれば、クライバーは他に比類のない個性を獲得して、
唯一無二の演奏を人生を賭けて公開したことになるだろう。
個人的には、バイエルン放送響やアムステルダム・コンセルトヘボウとのコンビの方が、
彼は自由にやりたいことをやり通せているという印象を受ける。
ウィーンはやはり極度の保守的でクライバーでもここまでしか許さなかったのでは?
それでも、これだけ鳴らせる彼の指揮の個性には感服しなければならないと思う。
小澤征爾の覇気のなさと比べられたい。
間違いなく名盤の一つ
(2008-03-06)
今更何のコメントかいな。と言われそうだ。クライバーは録音を嫌う指揮者である。だからレコード枚数も少ない。4番のライブ盤が出た時は大騒動になったらしい。基本的にシャイなのか、それとも厳格過ぎるのか。歌劇の練習風景など見てるとこっちが疲れる。
ところで最近はイタリア外盤でライブ録音が色々出ているが音が悪いので私は買わない。そういう意味ではこの5番、7番は貴重と言わねばならない。「耳にたこ」の5番がほんと新鮮に聴こえましたし、名盤の少ない「舞踏の権化」7番も気迫ある躍動感を伴ったウィーンフィルの弦の美しさが印象的でした。ウィーンフィルが燃えに燃えたと評判の高い名盤である。録音時期が古くなって安くなってきているので買い易い。
スマートすぎ
(2008-03-01)
確かに、標準的で、誰もがきいたことのある演奏だ。だけど、それだけである。感動するものが、あまりない。 私が一番感動受けた、カンテルリの指揮、そして、フリッチャイに比べると、もう一度聞きたいとは、おもわれない。
安すぎ(笑)
(2008-01-09)
昔、同じ録音の5番と7番のCDをそれぞれ2500円で買った俺の立場は?
この値段ならマストバイでしょう。
持っていないなら手に入るうちにぜひ!!
カルロス・クライバーとVPOの出会い
(2007-09-16)
第5番が1974年3・4月、第7番が1975年11月・1976年1月いずれもウィーンで録音。
この第5番がクライバーがウィーン・フィルを振った最初の演奏だが、その潜在能力を引き出すための職人集団ウィーン・フィルの面々とのぶつかりあいはずっと続き、シューベルトの第3番・『未完成』(1978年9月)そしてあの名演ブラームスの第4番(1980年3月)と徐々にクライバーの考えるウィーン・フィルの潜在能力は発揮されるようになってくる。しかしながら1982年12月にベートーヴェンの交響曲第4番を練習中、意見の相違でウィーン・フィルの楽員と対立し、定期演奏会をキャンセルしてしまうことになる。所謂「テレーズ事件」だ。
ということで本作は天才カルロス・クライバーが世界一の名器『ウィーン・フィル』と巡り会った記念すべき最初の作品なのだが、そこでクライバーは早くもこの職人集団のより大きな潜在能力に気がついてしまったのだろう。そこからウィーン・フィルとの戦いが始まってしまったとも言える。この第5番・第7番は確かに素晴らしいのだがクライバーがウィーン・フィルの全能力を引き出したとはまだ言えないものだろう。全て引き出したのはブラームスの第4番の時だ。
ブラームスの第4番のクライバーとVPOの凄さを知っている者にはまだまだだ、と思わせる演奏だ。