レクイエムならベーム・・
(2005-11-08)
その確信が揺らいでしまった一枚でした。
ベームの名誉のために言うと、甲乙つけがたいという意味ですが。
人によって感じ方は異なるのでしょうが、ベーム盤もこのカラヤンVPO盤も、美と敬虔と荘厳の共存した稀有な名演でありながら、明らかに異なる何かが感じられるのです。
録音状態や音色もあるのでしょうし、歌手の声の違いもあるのでしょうが。
あまりにも主観的と承知の上で評するならば、
ベーム盤がウイーンフィルの最も美しい音色を感じさせる演奏とすれば、
カラヤンはウイーンフィルの最も荘厳な音色を引き出しているようでもあり、
ベーム盤が現世の人間が死者に捧げる最も神々しい音楽とすれば、
カラヤン盤は全ての人に訪れる死というものに正面から向き合って死とは何かと問いかけているような迫力を感じます。
・・このように書いていると自分の言葉の無力さを痛感してしまいます。
80年代のカラヤンのCDの出来は録音状態も含め、結構ムラがあるように思いますが、
このCDは全盛期のものと比べても極上の一枚だと言えるでしょう。
それにしても、20世紀にはなんと多くの巨大な演奏家が存在したのでしょう。
歴史的名演
(2005-10-24)
モーツァルト「レクイエム」ニ短調 K.626。カラヤン指揮による
ウィーン・フィルハーモニーの演奏。(1986年の録音。)
「魔笛」等の作品の製作に心身ともに疲労困憊していたモーツァルト
は、突如灰色の服を着た見知らぬやせ細った背の高い男の訪問を受け、
レクイエム製作を依頼する手紙を渡される。男は、製作依頼の手紙と
多額の前金を持ったのみで、注文主の名前も明かさなかったという。
モーツァルトは実際この年に亡くなっているのだが、この事をして、
「死の使い」と考えてしまったことは容易に考えられることである。
1791年、モーツァルト35才の時のことである。
「死の使い」の恐怖に怯えてか、過労によるものか、「レクイエム」
作曲は中途にして、モーツァルトの死がもたらされた。彼自身の手で
完成された部分は「入祭唱」と「キリエ」のみであり、その多くは、
弟子達の手によって補完される形となった。
最初に補筆を完成させたのが弟子のジュースマイヤーであった。。
現代でもこのジュースマイヤー版が規範版として標準的に使われる。
晩年の作品で、余命旦夕に迫っていたのを感じていたのか、内省的で
非常に深遠な世界を構築している作品である。また、当時教会音楽へ
の傾倒(シュテファン大聖堂の楽長代理職に就く等)があったようだが
バッハやヘンデルに通じるアプローチも感じられる。しかし、やはり
時代を見据えた斬新な創意に満ちた音作りはモーツァルトならではで
円熟味を増した晩年の作品には更に芯を感じさせるものがある。
この音源では、カラヤン-ウィーンフィルの組み合わせでの演奏だが、
カール・ベーム-ウィーンフィルの組み合わせの演奏も名演として有名。
同じカラヤン指揮、トモワがソプラノのもので、ベルリンフィル演奏
の音源もあるが、ザルツブルグ出身同士のモーツァルトとカラヤン。
そして、オーストリアの交響楽団ウィーンフィルでの録音を推したい。
最後のレクイエム録音
(2004-04-16)
このCDはカラヤンのモーツァルトのレクイエムの3回目の録音で、1986年の巨匠晩年の録音です。1回目は宗教音楽としての美しさを、2回目はクラシック音楽としての美しさを、そしてこの録音はそれらを超越した、この曲の持つ神秘性を引き出した録音です。晩年の健康状態のすぐれないカラヤンの精神が、これを作曲したときのモーツァルトの精神にかぎりなく近づいたからではないでしょうか。