切れ味悪しの凡作
(2008-06-16)
ここでの評価が高かったのでDVDで購入。しかし結論として、大変切れ味が悪く詰めが甘い。好意的な言い方をすれば、104分で充分に描き出せる内容ではなかったのではないか。悪く言えば、製作者の勉強不足。
一般のリスナーから、アカデミックにベートーヴェンを研究する学者やマニアの領域に少しでも入っていると、この内容には満足できないだろう。この当時のベートーヴェンはもっと耳が聞こえなかったはずだなどという外面的なこともあるが、ソモソモ神との繋がりを確信するばかりに考えられないほどエキセントリックだった最晩年の彼は、もっともっと強烈な個性のカタマリだったはずだ。演ずるエド・ハリスの演技がマズイというつもりはないが、ベートーヴェン本人は、「一般人とは明らかに違った人種(あるいは、ケンタウロスのような神性を持った怪物)だったはず」で、良い意味で一般人のハリスにそれを望むのは、ソモソモ無理な相談なのかも知れない。このハリスのベートーヴェンが、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き、あの「日記」を書いた人物だとは、ナカナカ思えない。指揮姿も、うーん、玉木くん演じる千秋真一よりはいいが、ベートーヴェン本人がこうであったろうとは、とても思えない。しかしここは、玉木君の指導役に梅田俊明氏を、ハリスの指導役にホグウッドを選んだプロデューサの眼力不足を指摘すべきだろう。このあたりからして、製作者側のクラシック界への通じ方の甘さが散見できる。
そして、アンナが彼に気に入られるプロセス(それは女性でありながら、一般の男性にも見えない芸術の神性を持っていたことから、理屈では納得できる)も、描写がまだまだ甘い。私は、こんなに僅かなプロセスでベートーヴェンがアンナにあれほどまでに簡単に心を許し、深く信頼し、初演時に(ストーリーのフィクション性は敢えて問題にしないとしても)あれほどまでの表情をアンナに見せる、なんてことが生理的にドーシテモ納得ゆかなかった。最初から150分の作品にするつもりでこの部分を描かないと、「果たしてベートーヴェンとアンナはいったいどの程度つながっていたのか??」といういちばん重要なことが分からない。意味ありげにアンナに彼の身体を拭かせても、アンマリ説得力はなかった。さらに言えば、だから第9の初演時にアンナがあんなに(笑)恍惚の表情を見せても、私にはまったく自然には見えなかったのである(この部分は、確かにクルーガーの演技もイマイチ)。
だったら、ベートーヴェンがああなるまでのプロセスを徹底的に描き込んで、有無を言わせず視聴者を説得し、第9の初演終了で作品も終わらせた方が、よほど良かっただろう。大フーガの初演が失敗だったとかなんだとか、「背景として必要と思われるシチュエーション」を詰め込みすぎて、全体がまったく稀薄になってしまったことも一因。「ベートーヴェンの時代の雰囲気や彼のエピソードを楽しんでもらおう」という意図と、「人間ベートーヴェンを内面から描き尽くそう」という意図は、104分の作品では両立しないだろう。それを無理に実現させようとして、中途半端になってしまったのだ。余談だが、他のレビューアの方も言及されているように、「敬愛なるベートーヴェン」という邦題訳もまったく浅はかの極み。視聴者をバカにしている。
とは言っても、やっぱりベートーヴェン好きが見ると「ああ、彼はこういう時代を生きて、こういう服を着て、こういう道具を使って、こういう日常を送っていたんだな」と深い感慨を受けたのは事実で、本来なら星2つのところ、3つにしておいた。労作であることは認めるし、この作品そのものを否定することはしたくない。ただただ、掘り下げが甘かったことが、ただただ残念なのである。私はいつも良い映画を観ると、少なくとも一日くらいその気分を引きずるが、この映画の気分は残念ながら20分しか続かなかった。
ベートーヴェンを聴き続けた者でなければ選び出せない旋律ばかり
(2008-04-25)
2006年9月13日にトロント国際映画祭で上映された後、2006年10月13日にリリース。ドイツ人のダイアン・クルーガーが演ずるアンナ・ホルツは実在しない人物だが、ベートーヴェンの最後の頃の作曲する様や、生活や、第九の初演や、『大フーガ』の受け入れられ方はこうだったろうな、と感じられるなかなか素晴らしい映画だ。ベートーヴェンの後期・・・つまり作品番号が3桁になるあたりの作品が大好きなだけに普通の気持ちでは観られないようだが。
第九の初演は中間部に出てくる。この初演の様子はフィクションだろうが、それでも人間の声の持つ崇高さと、オーケストラの旋律が混じり合うこの曲の素晴らしさを初演で味わえた幸せな観衆の様子は同じだっただろう。この一曲だけでベートーヴェンは別次元の作曲家だ。エド・ハリスの指揮は、クリストファー・ホグウッドが指導したらしいがベートーヴェンそのものに見えた。
この映画で使われている曲のひとつひとつの旋律がまさに選りすぐりのベートーヴェンで感心した。ベートーヴェンを聴き続けた者でなければ選び出せない旋律ばかり・・・脱帽である。
ベートーヴェンが生き返った!
(2008-04-23)
すばらしい 作品である。
ベートーヴェンへの 最高の贈り物。
嘘か誠かわからぬが こうあってほしいと願う者は多い。
ベートーヴェンを愛してきた者にとっての夢のような物語は創られた。
生々しいベートーヴェンの姿。
実際のベートーヴェンは多分かような日常生活をしていたであろう。
難聴のベートーヴェンが、神からあたえられし音を書きとめる任務をあたえられし者として位置づけられている。
ベートーヴェンの一途な愛に反発している甥。
ベートーヴェンのよき協力者であり、彼のあくの強さに惚れ込み一緒に組んできた老写譜師は自己の限界を悟り後輩に託した。
彼は癌であった。
彼が選んだのは女性の写譜師。
魅力あるドイツ女性・アンナを演じるは イアン・クルーガーである。
秀でた才能、冷静さ。人、状況をみる賢さ。
ベートーヴェンを敬愛してきた娘は、ベートーヴェンの最高の作品を完成させた。
情熱。献身。
私たちが夢見ていたドイツ女性の典型がここにある。
彼女が「絶望状況」をひっくり返したのだ。
希望!
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愉快なエピソード一杯。
神の音楽が頭に入ってくるが、本人は聞こえない。悪戦苦闘して奇妙な道具を頭につけて踏ん張っている。
このような男であってもおかしくはない。
ベートーヴェンの最期の傑作は彼女がいたから完成したのだ。
大好きなベートーヴェンにかような救いがあったと信じたい。
ベートーヴェンを愛している者たちへの最高のプレゼント。
ベートーヴェンの曲を楽しむにはうってつけ。
(2008-04-23)
ベートーヴェンの曲を楽しむにはうってつけ。
話の筋は、仮説に基づいて構成されており、歴史的な物語としてではなく、小説として楽しむとよい。
写譜師という仕事があることが、面白かった。
しかも、それが女性という設定は、実験としては成功したと思う。
ベートーヴェンをモチーフにしたフィクション映画
(2008-04-17)
ベートーヴェンを支える役のアンナは実際には存在しない架空人物。ストーリー全体もモチーフはベートーヴェンだが、大筋はフィクションである。この手の歴史モチーフ映画は「恋いに落ちたシェークスピア」とか「アマデウス」などがあるが、映画としての完成度が高いと観客の中には「実話か!!」と信じてしまう人もいると思う。子供達の誤解を生まない為にも映画の前にこの映画はフィクションですと表示して欲しい。肝心の映画の出来映えは上々。エド・ハリスは素晴らしい俳優だがベートーヴェンへの役作りは非常に上手いと思える。歴史フィクション映画が好きな人にはお勧め。事実に沿った話を求める人にはNGだろう。