きれいに飾って終わってしまった…、不完全燃焼
(2008-07-02)
衣装、セットなど精巧に作りこまれ当時の王室の中を覗いているような感覚。また当時流れた実際の映像が映画の中で使われドキュメンタリー的な要素もあります。エリザベス2世を演じるヘレン・ミレンの演技は素晴らしく下に書くような心理状況を刻々と演じていました。エリザベス2世の気持ちの変化は観た後でも分かりにくく、また一言で言い表せるようなものではないと思います。彼女の考えは下に書くラストシーンでのセリフに集約されると思います。この言葉を知った後で観た方が女王の心理を追っていけて、映画を深く理解できると思うので書きます。知りたくない方は読まないでください。
「今の世の中は大げさな涙とパフォーマンスの時代。私はそういうのが苦手なの。感情は自分の中で抑える。私は愚かにも信じてたの。"人々はそういう女王を求めているのだ"と。" 務めが第一、自分は二の次"。そう育てられそう信じてきた。でも世界は変わった。新しい時代に合わせねば。」
最後に一言。"務めが第一、自分は二の次"と言っているけどダイアナの死について国民の前で話すのは務めではなかったのか。ラストシーンで女王をきれいに飾ってしまっているけど、結局ダイアナ妃との不仲説は本当なのではないか。また悲しむと同時に嫌っている気持ちもあったのではないか。不完全燃焼が残ります。
映画というよりドキュメンタリー
(2008-06-25)
あのダイアナ死亡事故にまつわる英女王の葛藤を描いた作品。
映画というよりも、ドキュメンタリーを見ている感じでした。
オスカーを受賞した女王役はもちろんのこと、
トニー・ブレアとその奥さん、チャールズなど、
よく知られている人物たちがどれだけソックリに演じられているかが
最大の見所と言っていいでしょう。
イギリスの映画館では爆笑の渦が巻き起こったであろうことが
容易に想像できます。
しかし、こんな映画を作ることができること自体、
イギリスの王室が人間臭い、、、もとい開けているかを物語っています。
日本では考えられませんものね。
対応の悪いエリザベス女王の好感度が上がる理由
(2008-06-07)
エリザベス女王の苦悩と人間性がしっかり描けています。普通に考えれば、対応が遅れ、ようやく一週間後に声明を出すなど、何もいい点がないのに、それでもエリザベス女王に対してマイナスイメージにならないどころかプラスイメージさえ持ってしまうのが不思議ですが、きっとそれは、彼女の人間的な弱さを含めた人間らしさがしっかり描かれているからでしょう。
隅々まで、職人根性溢れる映画!
(2008-05-29)
面白かった!
こちらで、ヘレン・ミレンは、アカデミー主演女優賞をとりました。納得の演技です。まさに、エリザベス2世。ま、実際は、しらないけれど、そう思わせる説得力のあるクィーンです。
ストーリーは、ダイアナ妃が亡くなったところから、英国王室が、どう動いたか、就任したばかりのブレア首相が、どういう行動を取ったのかを描いています。ノンフィクション映画といいましょうか。完全にノンフィクションでは、ありえないと思いますが、相当、その時の状況をリサーチし、整理整頓して、ジグゾーパズルを一つ一つはめ合わせていったような丁寧な脚本です。こういうところでも、納得の映画です。
派手な演出など、ありませんが、城内では、佇んでいるだけで美しい調度品。セットと思えないクオリティ。そして、美しい英国の大自然。映像も気品溢れ、すみずみまで、丁寧。スタッフ、役者、全てにおいて、プロ根性、職人根性が垣間見える、清清しい映画でした。素晴らしい。
後、感じたことは、そもそも、エリザベス2世は、内外共に人気のある女王ですが、この映画で、更に、好きになった人は多いのでは、ないでしょうか?確かに、頭の固いような印象がありますが、それよりも、誠実な印象が強いです。やはり、激動の時代に若くして女王になり、今なお、指示され、女王でありつづけるのですから、相当、賢い人なのだと感じます。それにひきかえ、チャールズは。。。う〜ん前途多難です。彼は、これでますます人気がなくなったような気がします。人間的に、悪い人じゃないかもしれないけれど、エリザベス2世の次にには、つらそうです。
映画鑑賞後、こんな余計な心配をしてしまいました。
Against the madness of crowds even the gods contend in vain
(2008-04-24)
ダイアナ嬢の事故死から始まり、エリザベス女王が国民に向けてのスピーチを決断するまでの一週間のテンヤワンヤを女王とトニー・ブレア元首相を中心に描く一応はコメディ映画。
ヘレン・ミレン演じる女王が大変に素敵で、共演者もさすがに上手だな、という以外はあまり面白いとは思いませんでした。何故だろう。この映画はあの一連の騒動に対するイギリス人による自己解釈なんですよね?なんとなく奥歯にモノが挟まった感が否めないというか…。
マスコミに容易に煽動されて非難の矛先をマスコミから王室に変えて大騒ぎしたイギリス国民を示して、「大衆というのは馬鹿でセンチメンタルで、簡単に操られる」と言いたくて露骨には言っていない映画のような気がするのですが、妄想でしょうか。「『センチメンタル』の下部構造は『残酷』である」というユングの言葉のままに、ダイアナ嬢という「空虚」に何を見出したのか、集団カタルシスの中で縷々と涙を流す大群衆が一旦仮想敵(エリザベス女王)を指し示されたらそちらに一斉に牙を剥き出し、しかし本人らは極めて善人のつもりでいる、という不気味さ。コメンタリーを聞くと、脚本家さんがシラーの句を呟いたりと(「the madness of crowds…」)、当時の「国民の悲嘆」に作り手側は皮肉な視線しか注いでいないことが分かります。しかし映画だけ見ればそこらへんは隠蔽されている。私は単細胞なので「もっとハッキリ言え〜」と苛々してしまった。
ちなみに「こういう映画は日本では作れない。さすがだ」という意見は「さすが白人さまはエライ」と言っているように聞こえますが(実際そう言いたいなら構いませんが)、この映画を王室批判などと見たら大間違いで、それと見せかけた衆愚批判であり衆愚政治批判なのでしょう。しかしイギリス人が「君主制の危機」などと言うのは単なる文化的遊戯だと思いませんか。王室があるからこそ英語圏内でハッタリを効かせられる英国です。