バレエ界の厳しさ
(2008-08-20)
バレエ界に生きるダンサーたちの人生を描いた作品で、その厳しさには驚いた。レッスンの厳しさもさることながら、結婚や恋愛も踊りの妨げになる、と禁止。主人公も、作曲家との恋愛に嫉妬され、バレエ団をやめることに・・・。それからも悲劇が起こり、悲しい結末に。途中、「赤い靴」を踊るシーンは長いのだが、とても美しい、見事な演技だった。
ゾッとするほど素晴らしい
(2008-07-11)
舞踊場面がハイライトと思いますが他のドラマ部分も
異常な味をキープし続けまったくダレる事がありません。
息苦しいほど濃密な色彩計画、
10年後のヒッチコック「めまい」を連想させるシュールで
幻想的なムード(そういえばサイコの老母も出てきます)。
実演か映画かを問わずおよそバレー物で退屈しないことは稀有、その稀有の一枚。
芸術は長し、されど命は短し
(2008-06-27)
ボリス・レールモントフは小さいバレエ団の専制的な主宰者である。彼は団員の恋愛を禁止している。プリマが結婚で去った後、無名のヴィッキーを主役にすえて「赤い靴」で当たりをとる。そのヴィッキーもやがて一座の指揮者を愛して去ってしまう。
映画はボリスのバレエにかける情熱と楽屋裏の出来事をえがいている。ヴィッキーはボリスに口説かれて、ふたたび「赤い靴」の舞台に立つ。しかし、序曲の演奏中に恋人を追って事故死する。愛か芸術かという問いは、ヴィッキーの死は暗示的で、芸術が優先すると語っているようだ。作品中の時間の配分からみても、ヴィッキーの恋愛は、芸術か愛かのテーマのための挿話であると、おもう。
バレエや楽屋のシーンが長く、そしてヴィッキーの恋愛がはさまれた分、ボリスの波乱の人生ドラマがあいまいで、映画としては並みの作品。(小さいバレエ団を成功させるのはそれだけで一巻のドラマで、本作のように君臨していればすむものではあるまい。)しかし、バレエの幻想的なシーンが秀逸。故に、一つプラスして四つ星にした。
レオニード・マシーンの出演はかなり貴重
(2007-12-01)
1948年制作。主演のモイラ・シアラーは当時英国ロイヤル・バレエ団の若手プリマで映画出演に乗り気ではなかったが、制作側の熱心さに折れての出演だった。 シアラーは天才的なバレリーナだったが引退が早かった。マーゴット・フォンテインとのライバル関係に敗れた感のある人だが、天才振付家ジョージ・バランシンなどはフォンテインよりもシアラーを高く評価していたのだがら、惜しいキャリアのバレリーナだった。
映画の大筋の「悲劇」はディアギレフとニジンスキーの実話からヒントを得たのだろうが、バランシンが「馬鹿馬鹿しい話」と一蹴したのは有名な話。「バレリーナと作曲家が恋愛するのは興行主にとっては良いことだ。二人ともバレエ団に留めておけるのだから。ディアギレフだって喜んだはずだ」と。しかし何よりもバランシンはレオニード・マシーンの演技を見るに耐えないと思ったらしい。バランシンは振付家としても人物としてもマシーンが嫌いだった(マシーンは贅沢と権力に弱い男で性格も悪かった)。
しかしいまになって見ると、マシーンの出演場面が大変に貴重な感じがして私などは感動する。彼がディアギレフとニジンスキーを直に知る人物だったと思うとなんとも感慨深い。ニジンスキーの振付家としての重要性を力説し続け、ニジンスキー版『春の祭典』復活のきっかけを作ってくれた人物であることも忘れてはいけない。
五十年代以降、マシーンの存在はバランシンの名声にかき消されていく。しかし映画制作当時は、ディアギレフの秘蔵っ子として、シンフォニーバレエという新ジャンルを創造したスター振付家として、堂々たる名声を誇る人物だった。彼の不自然なほど大袈裟な演技を見ていると、バランシンの軽妙や洗練や深遠とはまた別種の「古いロシア」の匂いがする。「ペトルーシュカ」風の村々を廻る見世物小屋的なロシアの匂いだ。
苦悩の選択
(2007-09-12)
人気バレリーナとして、喝采を浴び続けるか…、愛する人を取るか…その、苦悩の感情が赤い靴を履いてしまったがためにボロボロになるまで踊り続けるシーンで主人公(英ロイヤル・バレエのモイラ・シアラー)がうまく表現している。どちらも手に入れなかった主人公はそれで解放されたのだろうか…?