リバイバルというよりも新作
(2008-06-05)
サスペンスの要素が、オリジナルよりも強く、何度もみないと結末が理解できないという、非常に凝った作品です。特別編ができたのも、そうした理由からだとおもいます。
物語がソラリスを語るのでは無い
(2007-04-20)
非人間の人間性を扱う物語のルーツは、古くはギルガメシュ叙事詩のエンキドゥ、ユダヤ教(旧約聖書)のゴーレムなど、近代ではシェリー女史の「フランケンシュタイン」などの中に見い出されると思います。「ソラリス」もまたそれらの物語と共通するテーマを含んではいますが、それが全てでは有りません。
原作者のレムが提示したテーマはあるいは問題はもっと広範に及ぶものです。中でも「人類が認識の限界に立った時どのような行動を選ぶべきか」あるいは「人間の知識には限界が有るのか」という問題についてはレムの代表作でもある「エデン」「無敵」「ソラリス」の三作品の中でも繰り返し論じられています。
タルコフスキーの「ソラリス」がソダーバーグの「ソラリス」と区別される由縁は、上記で挙げたようなレムが提示したテーマのいくつかを捕らえたから、あるいはレムの提示し得なかったものを小説とは別の映画と言う形で表現したからでは無いでしょうか?
一方ソダーバーグ版では厳密な意味で新しく提示されたテーマが一つも有りません。ソダーバーグ版「ソラリス」はいかにも説明的で、物語の構成も当時のヒット映画に習って凡庸さと派手さを兼ね備え、扱うテーマは恐ろしく古典的です。それらは原作の提示するイメージを押し広げるどころか偏狭なものにしてしまっています。良い原作(物語)があってもそれを型にはまった不適切な手法で表現してしまっては全てが台無しになります。それは表情のない顔、抑揚の無い声です。この映画に置いては原作に「ソラリス」を据える意味さえ曖昧なのではないでしょうか?
レムは小説で、タルコフスキーは映画で「ソラリス」を語りました。
語り手によって物語は花開き、そこに潜む光と影とは、その時はじめて見い出されます。
物語が語り手を語るのではない。
ソラリスからのプレゼント?
(2007-03-31)
決して忘れてはいないが、普段は心の奥底に閉じ込めてある記憶が誰にでもあります。考えないようにしないとそれに押しつぶされて日常生活が営めなくなってしまいますから。
ソラリスが見せてくれるのはそんな記憶。しかもその人についての記憶を具現化した「人」として現れる。その人がここにいるはずがないという恐怖と、同時にもたらす辛い記憶が二重に混乱を来す。
精神科医ケルヴィンのメモリーから形を現したのは「妻」だった。彼の記憶に刻まれたことだけが彼女の知るすべてである。初めは恐怖に駆られていたケルヴィンだが、次第に「妻」と再び愛し合うことになる。現実の世界で後悔していたことをやり直すために。「妻」は自分の存在の由来を知り消え去りたいと思う。そしてケルヴィンは…。
地球に戻って後悔の念に苛まれる生活を再び送るか、ソラリスの庇護の下、幻影というにはあまりにリアルな「妻」とすごすのか、人生への執着を捨てたとき魂が救済されるのかもしれないと思う。
心地良い☆
(2007-01-29)
個人的には、SFラブストーリー、と受け取った。
見るからに不思議な惑星・ソラリス(こういう絵は好き)
ゆったりとたゆたう物語にフィットした、抑えた演技(演技ってよくわからんけ
ど、そう感じた)と、若干SFっぽい音楽(ヴァンゲリスを抑えた感じ)
娯楽色は少ないけど、心地よい作品です。
ソラリスは監視に気付いている。身を守るためか、侵略のためか、近づく船内の人の記憶から、その人の心に最も強くある人物のコピーを作る。
だんだん、誰が人間なのか、誰がコピーなのかがわからなくなってくる。
だが、そんなコト、どうでもいい、と思えてくる。
ゴードンの、『人間が優位であるべき』という台詞がカンに触る。誰が決めたの?
少なくとも、心があるんだから、どっちでもいいんじゃないか。