「まだ時間はある」というメッセージを忘れるな!
(2008-11-30)
ネビル・シュートの小説・『渚にて―人類最後の日』が原作、2001年に『エンド・オブ・ザ・ワールド』の題名でリメイクもされた本作、あまりにも有名な一本です。
古今東西のさまざまな映画・小説・マンガ等の創作作品に大きな影響を与えた記念すべき作品でもあります。
核戦争で北半球諸国は全滅、母国に帰れなくなった米海軍のある潜水艦が、放射能汚染を逃れたオーストラリアのメルボルン港に入港するところから本作は始まります。
とはいえ、オーストラリアも決して安全ではなく、放射能汚染は刻々と近づいている…そんな極限状況の中での群像劇は、ただただ濃厚で、示唆に富んでいて、はっとさせられて、とても半世紀前の映画とは思えない出来です。
特に、潜水艦艦長のタワーズ(グレゴリー・ペック)とオーストラリア人女性・モイラ(エヴァ・ガードナー)、同じくオーストラリア人の科学者・ジュリアン(フレッド・アステア)の関係がいいですね。
ご存知の方も多いと思いますが、本作の結末はハッピーエンドではありません。
最後に大写しになる「まだ時間はある」という垂れ幕、これが本作のすべてのエッセンスを凝縮したものだと思います。
東西冷戦が終結して、全地球規模の核戦争の危機は本作が撮影された1950年代とは比べ物にならないくらい低くなりました。
ですが、最期のときを待つ人々の様々な行動は、私たちの心に何かを必ず残していくと思います。
ぜひ見ておいて欲しい一本です。
誰が主人公とかじゃないんだよ
(2008-06-20)
本当に普遍的な人間という生物を描いた映画。まあ職務柄特殊なものはあるが、どこにでも
いる普通の男や、普通の女を描いてる。核戦争で上半分が吹っ飛んで、徐々に汚染が広がって
いく。その中で、希望をもつもの、酒に溺れてグチグチうるさいもの、過去のジレンマにと
らわれるもの、趣味を通じて自分の世界に没頭するもの、と多々いる訳だが、リアルだ。
それぞれにないものを羨む姿の描写がリアルすぎる。
きっと僕は同じ立場になったらジュリアンみたいに死ぬだろうな・・・。
スタンリー・クレイマーの作品からは、総じて先見の明をとれるものが多いが、渚にて、は
まんま未来の世界を暗示してるかの如くだ。
実際問題、北朝鮮かどっかがポチッと押して、バーンってなったら、一瞬でこの映画の中と
同じになるわけで、、、人間は本当に恐ろしいと感じる、いや、感じさせてくれる映画なん
だ。そして後半での何故核戦争が起こったのか?なんて会話のやりとりは総じて哀れすぎる
が、これもまたリアルすぎる人間像なんだなあ。。。
反戦メッセージがなけらば星5
(2008-05-26)
「招かれざる客」などの作品を残した名匠スタンリー・クレーマー作品に星4との評価は頭が下がる思いだが、最後の数十秒の反戦メッセージが鼻についた。
当時は米ソの冷戦最中で核戦争による地球滅亡のカウントダウンがされていたのでこのようなメッセージは時勢を反映したものだと思うが…。
核戦争で人類滅亡に瀕した時代、最後に人類が生き残っているオーストラリアの物語。
原作はオーストラリア在住のイギリス人小説家ネビル・シュートにより1957年に書かれた小説であるが、原作とは大きく異なる点もあり、スタンリー監督の解釈が入ったオリジナルともいえる。
本作は核戦争による人類滅亡をテーマにしているが、ある意味で普遍的な人間のテーマともいえる。人生で残された時間をどのように過ごすかということだ。
ある人は自動車レースに明け暮れ、ある人は家族と共に過ごす。
一度聞いたら耳から離れることがない名曲と共に、生涯心に残る作品だろう。
しかし、相変わらずグレゴリー・ペックの紳士ぶりはカッコ良い!
地球最後の日を描いた傑作
(2008-04-29)
SFものとしては古典の部類に入ってしまうが、ストーリーとしては
現在でも十分に通用するし、将来的にもこの手の映画は製作されるだろう。
円熟味をましたグレゴリー・ペックは、共演のエヴァ・ガードナーとの
『キリマンジャロの雪』以上に息が合った演技をしていた。
一方ダンスをしないフレッド・アステアもベテランの味を十二分と発揮し、
また後の『サイコ』でノーマン役で一世を風靡したアンソニーパーキンスも
よかった。後にエイズで短い人生で亡くなってしまうのが残念でならない。
さずがはスタンリー・クレイマー監督と思わせるシーンはいくつかあるが、
だれもいないサンフランシスコはその中でも静寂という恐ろしさを上手く
描いていた。
最後は、この世の終わりをどのように過ごすのか?それはいちばん好きな人と
いることだ。もしくはアステアのようにそれが人間ではなく愛車と一緒に
死ねるのなら。。。。。。。
この物語の寓意と悲劇−−人類最後の日の光景としての恋の美しさ
(2008-04-26)
核戦争によって北半球が放射能におおわれ、北半球の人類が絶滅した後、かろうじて人間が生き残って居たオーストラリアにも次第に放射能が迫り、人々が、静かに人類滅亡の日を迎えるまでを描いた映画である。オーストラリアで生き残った人々は、その残された時間を冷静に過ごし、人類最後の日に、家族を、或いは恋人を愛しながら、服毒自殺をする。−−仮に、世界がこうした状況に直面した場合、人々が、最後の日に至る短い時を、この物語が描く様に静かに、家族や恋人を愛し、お互いに感謝しながら送るとしたら、そこに人類の救ひが有る。この映画が描く最大の寓意と悲劇は、この点に有ると言へる。
入手可能かどうか分からないが、この映画を観た人は、是非、原作の小説を読んで欲しい。私は、1969年か1970年に、中学生の時、この映画の原作を読んだ。その時の衝撃は忘れる事が出来無い。原作は、この映画より更に深く、感動的である。原作を読むと、この映画は物足りなく感じられる筈である。ただし、最後に不倫の恋をした女性が、岬で恋人が乗った潜水艦を見送りながら、服薬自殺をする場面だけは、映画が、小説に勝って居るかも知れない。−−核戦争を一つのラヴ・ストーリーとして描いたこの場面の切なさは、映画ならではの物かも知れない。永くこの物語を忘れて居た私は、チェルノブイリ原発事故が起きた4月26日が来る度に、この作品を想起して居る。
(西岡昌紀・内科医/チェルノブイリ原発事故から22年目の夜に)