この映画に描かれて"いない"ものはなにか
(2007-08-19)
この映画には大衆娯楽として決定的に欠けているものがある。恐怖に対抗するヒーローを描いているにもかかわらず、「盛り上がりがまったく無い」のはなぜか、わかるだろうか? それに気づいて初めてこの映画を「視た」ことになるのである。気づきもしないでただ賞賛するのは製作意図に敵対しているのであり、あなたはまさにマッカーシズム側の人物であり、マッカーシー同様にお調子者ということである。
この仕組み(描かないことにより主張する仕組み)を映画で実現することは実に難しい。それは活字では可能だが、映画自身が本来持つ性質に反しているのだから。
製作も脚本も、映画(界+テレビ界:要するに視覚メディア)自身にとっての最大の難題を克服できただろうか。何とかこなしているといえるだろう。正直私の想像力では、確かにこういう描き方にしかならないだろうと思う。物足りなく思うのは、マスコミは敵に利用されただけで、マッカーシー失脚に何の貢献もしていない、という史実に由来すると解釈しておこう。致し方ない。
マッカーシーは、弁舌(ウソ八百)の才能により、多数をその職から引き剥がした。当人の失脚は、調子に乗って軍幹部に手をつけた結果、その怒りに触れたからであって、メディアがマッカーシーを葬り去ったわけではない(代わりに子分だったニクソンに意趣返しをした)。マッカーシーが「アメリカ史上最低最悪のデマゴーグ」だったのは、後でわかったことである。
時期を選んで製作してしまったのが、決定的に悔やまれる。ここに描かれているエド・マローは、その機敏さにおいてこそ偉大だったのだ。「ジャーナリストは、歴史の最初の記録者である」(リップマン)を地で行った。一方この映画は完全にあと知恵である。2002年「ハリウッド映画人による戦争反対決議」に、製作者は参加したのだろうか? 2005年まで何をしていたのだろう。
クルーニーが「父へ捧げた作品」:正義と信念を貫いた男の勇気に感動
(2007-03-03)
ジョージ・クルーニーが、2005年「シリアナ」撮影の直後の作品。ニュースキャスターだった父へ捧げた作品であり、お金が目的ではなかったという。彼自身が自分の信念を貫いて製作したという意味でも、非常に味わい深い感動の作品。彼の言う「この作品の対極に位置する作品がオーシャンズ12」という意味も大いに理解できる。
「エド・マロー」役のデビッド・ストラザーン56歳。時々ちらほらお見受けしていたが、主役級の大役は初めてでは?実力を発揮できるやりがい有る作品にやっとめぐり合えたようですね。
「赤狩り」の1950年代が、白黒というモノトーンの映像で語られる。脅しに屈せず、ジャーナリストのあるべき姿を貫き通したニュースキャスター「エド・マロー」とプロデューサーの「フレッド・フレンドリー」が、タバコの煙で真っ白になった部屋の中で“マッカーシズム”に真っ向から対峙する決心をした意気込みが肌に伝わってくる。
シリアスドラマは時として「一般人」には非常に判りにくいものがある。
これは判りやすい部類に入るのではないか。
多くの人々が感動した一番の理由ではないか。
俳優はいいけど
(2007-02-12)
テーマは赤狩り(マッカーシズム)。興味深いテーマだし、俳優はいいし、(ロバート・ダウニー・Jrも出てる)、アカデミー作品賞にもノミネートされてるので期待してたが、イマイチ深堀りされてなくて、ドラマの焦点がズレてたような気がする。
魅力的な社会派作品!
(2006-12-19)
揺るぎ無い信念に基づいた力強いメッセージを、極上のエンターテインメントにして魅せてくれるところが秀逸です。
硬質な題材を扱い、無駄を極限まで省いていながら、醸し出される雰囲気、.....放送現場の緊張感、モノクロ映像を浮遊する煙草の煙、静寂に挿みこまれたJazz,jazzjazz,.... 溜息が出るほどクール!
卓越した存在感で主人公エド・マローに扮するデヴィッド・ストラザーン始め、1950年代に溶け込んでいる脇を固める俳優全てが渋く、素晴らしい。監督ジョージ・クルーニーの才能に脱帽である。
そして、紛れも無く50年後の現代に向けたものであろうエド・マローの『報道の良心』は、重いメッセージとなって心に語りかけてくるのだ。
どこまでもフェアで冷静
(2006-11-25)
50年代のアメリカにおける赤狩りの時代に、それを主導したマッカーシー上院議員に異を唱えたCBSのニュースキャスター、エド・マローと、そのスタッフの物語である。
言葉と映像を駆使した、メディアによる戦いの駆け引きの面白さに、強く惹きつけられた。
中世の魔女狩りさながらに、共産主義者のレッテルを貼った人々を追い詰めていくマッカーシーに対し、マローたちはあくまで冷静にフェアなスタンスで論戦を繰り広げていく。それが、極めてクールでかっこよく痛快だ。
シーンのほとんどが室内とインタビュー映像で展開されているにもかかわらず、たまらないほどスリリングなのだ。
マッカーシーや、彼に告発された人物たちの実際のモノクロ映像を使い、それに合わせて、ドラマシーンもモノクロで描くという、臨場感溢れる手法による効果もあったと思う。
語り口のうまさが、何よりも魅力的だった。
この作品を、権力の横暴に立ち向かうメディアの正義の勝利と単純に見ることもできるだろう。
むろん世の中はそんなに簡単なものでなく、日々起こる様々な出来事の中には、メディアの横暴もあれば、不用意にメディアが大衆を扇動しているケースもある。
何が正しく何が誤っているかは、単純な図式で決めつけずに、出来事ひとつひとつについて、その都度きちんと考えていかなくべきことだろう。
作品では、主要人物のひとりが「自分たちは本当に正しいのか?」と問い直すシーンがあるが、それこそまさに健全なことだと思う。
常に客観的で公正な態度で、真実に向き合おうとする、キャスターたちの姿を描き切っていることが、この作品と、薄っぺらい正義感を押し付ける凡作とを峻別している。