「天才」を通して描く普遍的な人間の感情
(2007-10-30)
「天才」というものを語る上で欠かせないインパクトの強い映画。モーツァルトに複雑な感情を抱き続けたサリエリの独白という形で天才の人生が描かれる。天真爛漫、放蕩、突飛な行動、凄まじい集中力、揺ぎ無い自信、そして生前の不遇・・・
アートの世界の天才のイメージそのものの人生。圧倒的な才能に対するサリエリの思慕、羨望、苦悩を通して描かれ、人間臭いドラマに仕上がっている。才能ある者に対するこの種の感情は古今東西共通するものだからこそ、見るものを惹きつける。奇怪な笑い声と表情の可笑しさでモーツァルト、いかにも苦労人的な表情のサリエリのキャスティングも良い。
真摯さゆえの悲劇。
(2007-07-05)
劇中でのサリエリの不幸を果たして何人の人々が哂えるでしょうか。
対照的な天才と努力家の話で、何かにすがりながら弛まぬ努力を続けるサリエリは凡庸な現代人である私たちの代表です。神から選ばれた天才にはどうやっても敵うべくも無く、私たちは天才に対し嫉妬を抱きながらも憧れるわけです。
美しい音楽で彩られた話ですが、その根底にあるのは凡庸な人間全てに共通するどうしようもない悲劇です。
超天才と天才
(2007-03-03)
モーツアルトとサリエリの物語ではありますが、サリエリもウィーンの宮廷楽長に登りつめています。1国家のある分野のトップに立っているのですから十分に天才といえます。
神の声(真髄)を伝えるが如き超天才と、それが神の声であることは分かってしまう天才、との対比です。そのため、サリエリの怒りは、神に向けられることになる。何故モーツアルトなのか、何故自分に神の声を向けて下さらないのかと。
そういう意味では、この映画の本当の主役は神の声とも言える芸術的な音楽とも言えるでしょう。上の2人と音楽の3者が加わったクライマックスでのレクイエム作曲場面、瀕死のモーツァルトが口に出す神の声を、サリエリが口述筆記し、音楽として楽譜上に完成されていくシーンは素晴らしいというしかないです。サリエリにとってそれは神の声が地上にもたらされる瞬間に立ち会えた恍惚の時であり、それ以降は二度と己自身では実現できず絶望を生み出すものであった美しくも残酷なシーンは圧倒的です。
あまりの天才!
(2007-02-25)
いわずと知れた大傑作。
BGMとして、効果として全編に響き渡るモーツァルトの音楽。
モーツァルト、サリエリ、コンスタンツェ、父・レオポルト、ヨーゼフ2世・・・
それぞれの人物を的確に演じる役者たち。
そして、この『アマデウス』をつくりあげた製作者・スタッフたちの“天才”ぶり。
モーツァルトを題材に、ここまで料理しつくす映画人たちの非凡才な英知にも大喝采をおくりたい!
“アマデウス”はモーツァルトを通して、この作品・映画プロジェクトそのものを
表していると感じさせられました。
ラストシーンに重なるサリエリとモーツァルト
(2006-12-22)
オリジナル版は,天才に対して嫉妬する「凡人の苦悩」をメインにすえた話だったように思えましたが,
このディレクターズカット版では,周囲に理解されない「天才の苦悩」をも十分に描いているように思います。
私などは凡人の代表選手であるサリエリに感情移入するので,つい見過ごしてしまいがちですが,
新しい音楽をつくっても理解されず,世俗の権力の妨害を常に受け,最後は大衆演劇にしか活躍の場を得られなくなり,
挙げ句の果てに自分の音楽の唯一にして真の理解者によって死に至らしめられる…といった天才モーツァルトの人生の悲劇性が,
新たに加えられたシーンによって,オリジナル版以上に強調されているように思いました。
作中では「凡人」と「天才」の相剋を激しく描いていますが,ともに「人」であることには変わりなく,
全体を通じて,両者共通の「人としての苦悩」を描いているのでしょう。
それ故,ラストシーンで「凡人」サリエリの笑い声が「天才」モーツァルトの狂気じみた笑い声に折り重なるのではないでしょうか。
そしてあの安らぎに充ちたピアノ協奏曲第20番の第2楽章が流れる…。
…映画史に残る傑作です。