限りなく熱く、限りなくあたたかい
(2006-08-18)
テレビ放送の時は、毎週どうなることかとドキドキハラハラして見ていたわけですが、あらためてこの3話をDVDで見ると、最後までストーリーを知っていても、やっぱりドキドキハラハラでした。
放送時は最終話のあまりの凄さに全部持って行かれてしまったので、45話、46話の印象がやや薄くなっていたのですけど、こうして3話続けてみると、連続ドラマとしてのおもしろさにあらためて気付きます。
最終話にいたるまでのこの盛り上がりは半端ではありません。悲壮感が漂う熱い物語があってこそ、ラストのカタルシスが大きいのでしょう。
45話、躊躇することなく「「待ってない!」」と声をそろえるなぎさとほのか。
46話、「俺たちの戦いはまだ終わっていない!」と叫ぶ三戦士、見事な連携が熱いラストバトル。
そして最終話。
これだけ熱くなっても、プリキュアのめざすところはたったひとつ。――大切なのはあたりまえの日常。
だからこそ、異常な状況の中、ごくごく日常的な会話を交わして、ふたりは再び立ち上がるのです。
ご都合主義といわれることもあるラストシーンですが、もはやこれ以外考えられません。
物語は、ここから始まるのですから。
もし、プリキュアを見たことがない方は、ためしに最終話だけ見るなんてことをせずに、最初から全部見た上で最終話を見てください。
テレビアニメとはどうあるべきか、という問いに対する答えのひとつがプリキュアにはあると、私は思います。
アニメ番組であり、文学であり、哲学である。
(2006-08-01)
復活したジャアクキングに立ち向かうにはクイーンを復活させなければならない。しかしそれは、九条ひかりが消えること……
九条ひかりは、そして洋館の少年は救われるのか?
そもそも普通の女の子であるプリキュアたちが、ジャアクキングをどう倒すのか?
そんなあらゆる疑問すべてを吹き飛ばすほどのとんでもない展開をみせ、
物語を「まさにありえないほどの真っ正直さでプリキュア的に」描ききっています。
このラストによって「なぎさとほのかとひかりのプリキュア」は、
純文学的な課題に対して、純文学的に見ても十分な回答を提出した、純文学足りえると思います。