無慈悲なアニメ
(2007-10-08)
表現の方法が原作の素朴かつ詩的な文章から転じて「アニメ」に変わるだけで物語の印象がこうも変わるものなのか?
古今共にこのアニメから受けるような印象をアンデルセンの原作から受けた試しはありません。率直に言って原作を始めから無視するつもりならば、ネームバリューだけを求めて偉大な作品の名を語るのは止しにして欲しい。
特に残念でならない事は無意味なアクション描写およびバイオレンス描写が目立つ事です。具体的にはゲルダのドロップキックや吟遊詩人ラギの格闘漫画ばりのアクションがそれに当たります。登場人物の感情描写も、その行動描写も、上記の様なアクション描写が不条理に差し挟まれる事に附随して描き方が強引になってしまっています。なおざりにしてはならない多くの点がずれていると感じます。
殊に前巻収録の「山賊の掟」から本巻収録の「山賊の絆」に至るまでの物語運び、台詞回しの強引さ、ゲルダと山賊の娘の乱闘シーンの描写における理不尽さ、「氷の城」の冒頭のアクションシーンの不自然さ等は目を瞑りたくなる程です。私はこれらの描写に違和感なく溶け込める人々を恐ろしく思います。
原作を据えたアニメとして、またアクション描写が随所にあるアニメとして成功した(と私が思う)「ロミオの青い空」などと比べればそれらの描写の違いが明らかになると思います。
惜しまれるキャラクター
(2006-07-03)
「常に悪を欲し、常に善をなすところの力の一部です」(ゲーテ「ファウスト」)
「われは悪魔なれば、人間的な何ものもわれに無縁ならずと思う」(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」…実はテレンチウスのもじり)
いずれも高名な文学作品に現れた「悪魔」達の科白である。これら両者には共通して、ある種の高邁さと知性とが見受けられ、読む者に忘れがたい印象を残さずにおかない。
本作にも「魔王」が登場し、クライマックスは雪の女王と「魔王」との闘いを中心に展開する。
しかし残念ながら、この「魔王」、単にごついだけのおっさんでしかない。
出崎作品に登場する悪役としては、「白鯨伝説」のムラトやオハラ、「ベルばら」のジャンヌなどが印象深いが、いずれも、あくどさの陰に独特の存在感と崇高さを兼ね備えていた。これに比べると、本作の「魔王」の描き方はやや後退した印象を否めない。
無論、彼をいたずらに「いい人」として描き出す必要はないかもしれない。
ただ、悪役なら悪役でも構わないのだが、この「魔王」の信念のようなものをもっと掘り下げていけば、ストーリーにより一層厚みが出たはずである。それだけに彼のやや杜撰な扱いは実に悔やまれてならない。