名演だったが共感できなかったよ
(2008-09-27)
ゲイというテーマは(他の慧眼な批評にもあったが)視野が狭く、共感を抱けないまま、重い結末に至った感がある(泣くような感動はまったくなかった)。俳優陣の名演は素晴らしかったので、逆にそのイメージがこびりついてしまい、他の映画でこの俳優たちを見ると、違和感を感じるほど。
ゲイの問題は、プライベートな問題と同レベルだと思うので、それを強調した映画には押し付けがましさを感じてしまう。恋愛の相手に男がいいか女がいいかなどということは、セックス体位の好みとかと同じで、他人に迷惑をかけない限り、自分たちで勝手にやってほしいし、知りたくもない。
ただ、ゲイだから(or 売春婦だから)などという理由で殺されてしまうアメリカのヘイトクライムの恐ろしさは感じた。
会いに行かなきゃ
(2008-08-30)
切なかった。
会いたいのに、愛してるのに、数年の間に数回しか会えなかった二人。
そんな状況にも我慢するしかないって、仕方が無いって、
割り切れぬ想いも割り切って生活しているけど、
突然の永遠の別れ。
自分にとって大事な人、愛してる人、会いたい人に、私はなかなか会えてない。
そのうち連絡とろう、忙しいから、まあ元気にやってるだろう、
そう思っているけれど。
自分の人生だって、いつ終わるか分からない。
自分の大切な人の人生だってそう。
だから、会いたい人には会いたい時に会っておかなきゃな。
あなたは私にとってこんなに大事ですってことを、伝えておかなきゃな。
じゃなきゃ、もう手遅れって時に後悔してしまう。
そんな気持ちにしてもらえました。
後からジーンとくる映画
(2008-08-28)
淡々としているせいか、観ている間は涙は流れなかった。
ただ、観た後はしばらく呆然としていた。余韻がすごい作品である。
ヒース・レジャーよ、永遠に。
評判に騙されるな!
(2008-08-18)
20年間続いたイニスとジャックの愛。
14時間かけてジャックがイニスに会いに行くとか、
2人が中年になるまで逢い引きを続けたというだけで、
愛の深さを描こうとしてもだめですよ。
視聴者は説得されたいのではなく、感じたいのです。
周囲の無理解ゆえの同性愛者の苦悩、
他の男に惹かれている夫を引き留める術なく
見送る妻の苦悩をもっと丁寧に描いて欲しかった。
それでいてなお、お互いを求めざるを得ない男たちの
愛の深さを感じさせて欲しかった。
私は上に書いたような「情報」で、二人が惹かれ合っていることを「知り」ました。
しかし、私は彼らが「愛し合っている」とは少しも「感じ」られませんでした。
ネタバレになるため詳しくは書きませんが、
クライマックスでジャックを悲劇のヒーローに仕立て上げたことについても、
私の眼には、差別を告発するためというより、
単に物語に収拾をつけるための手段として映りました。
20年だけでなく、30年、40年にわたる二人の秘密の愛を描くことだって、
可能だったはずなのですから。
「映画史上、最も心揺さぶられる愛の物語」を謳う以上、
同性愛に対する視聴者の過剰な思い入れに期待してはだめなはず。
仮にイニスとジャックの一方を女性に置き換えて、
結ばれない愛を描いた異性愛の優れた諸作品に
本作品が比肩する魅力を有しているとはたして言えるでしょうか?
自身ゲイである私ははっきり言います。「ノー」であると。
本作がアカデミー作品賞を逃したことについて、
監督は賞の保守性を批判したそうですが、何のことはない、
単に作品の質が低かっただけです。
「映画史上、最も心揺さぶられる愛の物語」。
この賛辞はむしろ、「トーチソング・トリロジー」
のような作品にこそふさわしいのでは?
狭く歪んだ世界のなかで
(2008-08-16)
はじめて面白いと思ったアメリカ製劇映画。
主人公二人は男の卑しさを凝縮した人物。この見た目の良さ以外およそ好感の持ちようのないナイーヴマッチョに気づけばどっぷり感情移入しているのがこの作品の凄さだ。排他的で臆病でナイーヴでヒステリックな白人ヘテロマッチョの共同幻想のなかで生まれ育ち、他の価値観などついに知らぬままの、知る機会すらないままの二人の結末。年代が常に固定されているために(そして米国で獲った数々の賞のために)「映画だからディフォルメされているのだろう」と逃げることも許されない。これはありふれた現実なのだ。
画面に登場したアフリカ系は歌手の女性ただひとり。おぞましいまでに住み分けの進んだかれらの共同幻想に基づく狭く歪んだ社会。これは確かにアメリカの姿であり、言うならば、力を常に誇示し他者を圧殺しなければ自らの存在価値を見出せないあの臆病な愚かな国家そのものの姿であり、その価値観以外知らないかれらはその価値観によって自らをゆっくりと殺してゆく。
「おれたちにはブロークバックマウンティンしかない」そうその通り。そしてわたしは考える。同じ時代同じ地域に生きたレズビアンは?「ブロークバックマウンティン」すらなかったのではないのか?