無慈悲なアニメ
(2007-10-08)
表現の方法が原作の素朴かつ詩的な文章から転じて「アニメ」に変わるだけで物語の印象がこうも変わるものなのか?
古今共にこのアニメから受けるような印象をアンデルセンの原作から受けた試しはありません。率直に言って原作を始めから無視するつもりならば、ネームバリューだけを求めて偉大な作品の名を語るのは止しにして欲しい。
特に残念でならない事は無意味なアクション描写およびバイオレンス描写が目立つ事です。具体的にはゲルダのドロップキックや吟遊詩人ラギの格闘漫画ばりのアクションがそれに当たります。登場人物の感情描写も、その行動描写も、上記の様なアクション描写が不条理に差し挟まれる事に附随して描き方が強引になってしまっています。なおざりにしてはならない多くの点がずれていると感じます。
原作を据えたアニメとして、またアクション描写が随所にあるアニメとして成功した(と私が思う)「ロミオの青い空」などと比べればそれらの描写の違いが明らかになると思います。
「月夜の人魚姫」あるいは、マリ子からリリーへ
(2006-04-28)
泡になればいい…私みたいな悪い子は…
望郷の念にかられる人魚の少女リリーは、帰郷への手段として、主人公ゲルダを利用しようとする。しかし、ついにゲルダを裏切ることが出来ず、海に身を投げて泡となることを選択する…
このリリーという少女は出崎監督の素晴らしい傑作、「おにいさまへ…」の信夫マリ子を髣髴させる。
これを焼き直しと見るか、「再来」として肯定的に見るかは別として、生き方に不器用で、自分が好きになれない少女の姿はここでも切なく、痛々しい。(尚、出崎作品は少女マンガ(的世界)と相性がいいことを指摘しておきたい)
リリーの言動には奇抜な点が多く、屡々ゲルダを当惑させるが、同時にこの上なく繊細な一面を併せ持っている。このあたりの性格描写は、幾分ユーモアを交えながらも実に巧みになされており、本作をシリーズ中最も印象に残るエピソードの一つたらしめている。