コラージュされたアメリカ
(2008-06-17)
ラース・フォン・トリアー監督はアメリカに行ったことがないという。
大恐慌時代、民主主義、ギャングのアメリカ。
8つの章の冒頭にその後の展開が数行のセンテンスで予告され、ナレーションが状況と心理を
過剰なまでに物語る3時間近くに及ぶフィルム。
抽象的なセットのなかで、あまりに生々しく皮肉な"アメリカ"がコラージュされる。
独特の演出と、観念だけが空回りするような台詞、そして過剰なナレーションが続くのだが、
ローレン・バコールをはじめとする出演者たちがそれをある種の整った結晶に仕上げていく。
しかし何より"招かれざる"客=ニコール・キッドマンが魅力的だった。
彼女がこのフィルムに写っていなければ最後まで見続けることはできなかったと思う。
ドッグヴィルとは似てないけど
(2008-03-27)
ダンサーインザダークの
ラース・フォン・トリアー監督の作品。
シンプル過ぎて
他の誰にも真似が出来ない作品になっています。
出演している役者さんの演技の質の高さと、
舞台の隅々に行き渡る有機感、カメラワークの峻烈さ。
非の打ちどころがない奇怪かつ、
誰もがやろうとして、やりにくい作業が高度に結集。
キーファー・サザーランドの24も、別のベクトルで、
誰もがやりたいことを実現した例ですね。ドッグヴィルとは似てないけど。
ちなみにドッグヴィルのプロットは、
スタートした時点でラストまで、多くの人の予想通りです。
その、ありがちなプロットに、一瞬の隙も与えず、視聴者を上回る。
そんな作品です。
行き届いた部屋に案内されて、
くつろいだような気持ちになれました。
劇団の舞台みたい
(2008-01-12)
劇団の舞台を見に行ったような気分になる映画です。シンプルなセットに、良く出来た脚本、役者が皆素晴らしい演技で、さらにニコールキッドマンがすごく綺麗で、3時間という長時間が気になりません。きっと見た人のほとんどが「自分ならどうしただろうか?」と自分をいろいろな登場人物にあてはめて考えると思います。物語の展開、ラストの衝撃、とてもおもしろかったです。
映画としてはちょっと
(2008-01-08)
地域社会の魔女狩りと見ればアーサー・ミラーの「るつぼ」につながり、チャプター名を出したりナレーションで観客をさめた気分にさせるところはブレヒトか。いずれにしても映画というよりは演劇という印象。
この監督は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でも、面白いテーマ、贅沢なキャストを使いながら拍子抜けさせられたけれど(ラストへ向かうビョーク役の心の動き、行動に無理あり)、そう思うのは日本人の一観客の視野の狭さなのか、共同体の怖さというだけでない、もっと宗教とか深いものがあるのか。うーん。
盲目の住民役でベン・ギャザラ(カサヴェテス・ファミリー)、久しぶり。
人間は弱い生き物だ。 『かつ誰しもが傲慢レベルA』
(2007-11-03)
たぶん私がドッグヴィルの一員だったとしたら同じことをしたと思う。人間は弱い。目の前に極上の骨があったら飛びついていいのは犬だけで、私たち人間はそれが出来ない。
常識だのモラルといった命綱なのか鎖なのか分からない類に縛られているのだから。そして溜まったストレスが爆発するときほど惨めな姿もない。
普段抑制とは縁のない犬に比べれば人間は実に苦しい存在だ。だが人間は機械じゃないから、いつまでも同じ動作を、同じ考えを持続することは出来ない。
誘惑に駆られ、欲望に落ちるのは仕方がないことなのだ。しかしそれに身を浸してしまえばこの物語同様、破滅が待っている。
自己制御、抑制、我慢強さや忍耐力をつけろと直には言ってないのだが、もし自分が清らかであり続けたいのであれば、
それらを身につける努力をしなくてはいけないと間接的に伝わってくるのは私だけだろうか?
集団という大きな渦に飲み込まれないだけの強い自分の意志をもつ事は常に苦しいが大切なことだと私は教わった気がする。
孤立するのが恐いのは誰だって同じだ、しかし「だから仕方がない」という考え方は間違っている気がする。
意志が弱いのは人間だから仕方がないが、その程度の意思では未来を変えることなど出来ないのもまた然りで、生きることは儚いことだと作者は感じているように思える。
そういえば私達には強い意志なんてあっただろうか?
ネットや娯楽の急増でそんなハイリスクな古臭い精神などとうの昔に忘れてしまったのではないだろうか?
ドッグヴィルはそんな事を考えさせてくれる作品だ。他には類を見ない映画、一度観てみるといろいろと参考になって良いかもしれない。お勧めです。