強烈な自我
(2008-09-04)
ヴィスコンティ作品のなかでThe Damnedと並んで最も暗いが、一過性でなく何百年も残る普遍性をもった芸術。ヴィスコンティは映画の黄金時代の最後の巨匠。人がまだ美しかった時代の。
トゥーリオは目の奥から演技する印象的な美男(裸はよくない)で、二人の美女も素晴らしい。作為がない。表情の動きをとらえ、感情を的確に表現する演出はほとんど神業。顔と裸体のドアップの迫力。比類なき色彩感覚。映画はこうあるべきだ。大切なのは奇抜なテクニックではなく人物の感情に沿うことだとわかる。セリフも少ない。映像と音楽ですべてを表現できるのが映画なのだ。
お気楽な人生などなく、性愛から逃げられない宿命を背負った人間。どのように生きようと人を愛せば一瞬の快楽よりも苦しみのほうが長く続く。この主人公には罪悪感はあった。でもそれは神に対する罪悪感ではない。神にざんげして許される罪などなく、矛盾にまみれて生き死んでいくのが人間。彼は自らの罪を「地上で解決する」ことを選んだ。単なる「無神論者」ではなく、どのように生きたとしても人間は無実なのだとヴィスコンティはいいたかったのではないか。キリスト教という権力のもとで、ヨーロッパ人は「神の子」として生きるよう縛られてきたが、この主人公は「人の子」として生きようとする。そこでどんな苦悩を味わおうと、闘って生きるのを選ぶ。なんという強烈なエゴだろうか!
このようなエゴイストを非難するのは簡単だ。でも人間は皆、多かれ少なかれ矛盾と罪にまみれた存在であるとともにかけがえのないものなのだ、イノセントなのだとヴィスコンティは語りかける。その視線は偉大で普遍的で、勇気に満ち溢れている。キリスト教が地獄に落とす人間が救われる思想がここにある。
ラストシーン、愛人が去っていく後ろ姿のストップモーションがとても美しくて大好きだ。突き放したように客観的な目とリリシズムがたまらない。
心に爪あと残す名作
(2008-04-01)
*劇場公開版(修正版)のレビューです
見ている間は辛く、面白いという思いには全くならなかったが
悔しいかな見終わった後にずっしりと心に残る。
フェリーニの作品もそうだが、イタリア映画にはこういったものが多い気がする。
(まあ日本に入ってきて評価されているのがたまたまそうなのかもしれませんが)
見ている間中、主人公たちの俗物ぶりに嫌気がさす。
社会的な身分も経済力もあり、一般人がうらやむような生活をしているのに
俗物さが主人公たちを不幸にしていく。
一般人が、生活のこまごまとした事を相手にしなければならないので
むしろ見えてこないだけで、貴族という身分がむしろこうした人間の
愛憎を浮き彫りにしているようにも見えた。
評論家が言うようにビスコンティ自身の貴族に対する憎悪として
描かれているように私も感じた。
超人じゃない
(2007-08-24)
原作ではトゥリオは自殺なんかせずに生き続けるのだが、ダヌンツィオが描いた主人公が「超人」だとすれば、自殺してしまったヴィスコンティ描くトゥリオは、超人であろうとしつつもかなわなかった自己愛の塊のように見えた。ラストでエルミル邸に招かれたラッフォー公爵夫人が「あなたそのもの」という息苦しくなるようなインテリアでそれを視覚的にも表現しているんだろう。このローマ本邸は母の住むバディオラやリラ荘とは全然違って、時代背景があるにしても、その主の精神が尋常でないことが表れている。
結局トゥリオは超人たらんとしていまだ超人たりえず、内部から崩壊して生き続ける未来の自分に耐えられずに自ら命を絶った、と私は考えたんだが、いかがでしょうか。
ところでヴィスコンティはこの重い映画でも、それ以前はわりに軽いキャリアしかない俳優であるジャンニーニやアントネッリを主役をやらせたり、「山猫」のバート・ランカスター同様、ハリウッドのジェニファー・オニールにイタリア貴族をやらせて、それが見事にはまっているのは、いまさらながら感嘆のほかない。
豪華絢爛、贅沢三昧
(2007-08-21)
半身不随の上、最悪の体調で撮影にのぞまざるをえなかったため、かねてから映画化に意欲的だったトーマス・マンの「魔の山」をあきらめ、ダヌンツィオの「罪なき者」の制作に乗り替えたという。イタリア人のヴィスコンティが、晩年ドイツにこだわった理由は定かではないが、本作品が遺作となってしまったことはヴィスコンティの本意ではなかったにちがいない。
デジタルリマスター化された映像で見る、貴族たちが身につける衣装や、大豪邸のインテリアなどはまさに他を圧倒している。豪華絢爛という表現がふさわしい衣装を身に着けたラウラ・アントネッリ(青い体験の色っぽいお手伝いさん)やジェニファー・オニールは、きっと幸せだったにちがいない。サロンで開かれるミニコンサートのシーンでは、実際の貴族でもあるヴィスコンティの親族を登場させ、イタリア貴族の生活をこの上なく煌びやかに描いている。
俗流の超人を気取って、傲慢な態度を崩さない無神論者のトゥリオ伯爵(ジャンカルロ・ジャンニーニ)。横暴な夫から愛する人の子供を守るため、赤子に無関心なふりをする妻ジュリアーナ(ラウラ・アントネッリ)の<演技>が痛々しい。映画は、嬰児殺しという重たいテーマを扱ってはいるが、退廃という形容はあてはまらない。トゥリオが選んだ地上での決着も、貴族の最期を飾るにふさわしい華々しいエンディングだった。
×2 ラウラ・アントネッリ フォーエバー(2008/6/17改)
(2005-12-26)
かつて映画の出来や主演であるかどうかに関係なく女優の名前で見に行く時代があった。彼女もその一人。ほとんどB級映画ばかりだったが、イノセントは彼女の最高傑作の一本。美青年好きの巨匠の前で臆せず全てを晒している。青い体験シリーズも良いが、肝心な処はやや薄暗い(それはそれでよいが)。イノセントの彼女の美しさはすごい。しかも明るい処で全てを晒している。大理石のビーナス像のようだ。巨匠の遺作だが、彼女のあまりの美しさに巨匠も人生の最後に宗旨変えしたのではないかとまで思わせる。今の女優さんももう少し見習って動かないカメラの前で白日堂々と見せてほしい。ばら売りになったので星10個。目の下のくまフェチになりました。祝!無修正版。神様と巨匠からの贈り物。