安心感のあるつくり
(2008-09-09)
小学生の登校拒否という問題を扱っているにもかかわらず、
暗くならないところがまず特徴点としてあげられるのではないでしょうか。
ロボットを通じて、子供同士の友情をはぐくんだり、
親子の関係を修復していく様は、
みていて暖かい気持ちにさせられます。
このあたりのロボットの使い方というのはとても面白いものでした。
ゲーム世界と現実世界がリンクしているという設定もはじめはどういうつながりだろう。いらないじゃないかと思っていたのですが、ラストの伏線としてつながっていたのが、見ていてすっきりとさせられる気持ちでした。
全体的に悪い点はなく、安心して見られる作品です。
アイデアはけっこうイイと思うんですが…
(2008-04-07)
最愛の母の死が原因でひきこもってしまった少年が、ロボットといういわば自分の分身を介して、
人とのふれあいの素晴らしさに目覚めていく…という設定はけっこう面白いし、主役(?)のヒノキオもどこまでがCGで
どこからが実写なのかわからないくらいよくできているのですが、いかんせんいくら初監督作とはいえ
演出が高校生の学園祭映画のレベルであり、手練のプロが普通に作ってればそこそこ盛り上がるはずのシーンでもさぶ〜ッなかんじは否めませんでした。
せっかくの多部未華子ちゃんの演技のポテンシャルもぜんぜん引き出せていないと思いました。
またストーリー的にはラスト近くからとってつけたような、テレビゲーム世界のファンタジー話にしてしまったのが?????!でした。
ちなみに主題歌は私の大好きなYUIが歌っており、PV映像のテーマも映画に似通っています。主演は映画と同じ本多奏多クンで、
三分少々と短くはありますが、こちらのほうが”物語”としても高いクオリティに仕上がっていると感じたのは私だけではないはず…。
ロボット越しだからこそ見えた世界
(2007-02-03)
すれ違い続ける現実とヴァーチャル。事実と誤解。傷つき合った心と心。
それらがラスト・シーンに向けて一気に収束し、リンクしていくカタルシスが心地よい一作。
音楽やCGもさることながら、やや類型的な演出や台詞にも臭みを感じさせず、むしろ感動させるまでに昇華する若手俳優陣の瑞々しい演技こそがこの映画の最大の成功だろう。
特に繊細な少年像を演じさせて右に出る者はない本郷奏多、その後のブレイクめざましい堀北真希などに混じるなか、工藤ジュン役の多部未華子の中性的な存在感が光る。
本作では多くの登場人物がそれぞれの悲しみを抱えており、主人公との交流のなかでその心情吐露がなされていくのだが、工藤ジュンがなぜボーイッシュな容貌や性格となったかを断片的な台詞からだけで推測してみるとその必然性が見えるだろう。
だからこそ女性らしく成長した工藤ジュンと主人公のラストの再会シーンが活きてくるのだ。
安心して見られる映画
(2006-09-09)
監督は、河童、ACRI、FINALfantasyのVFXを手がけてきた秋山貴彦。
HINOKIOが良く出来てるのと、
工藤ジュン(多部未華子)がいい演技してます。
あと、堀北真希が小学生役で出てるので、マニアにはたまらんかも。
(最初誰か判らんかった)
声優で密かに林原めぐみが登場してます。
Hinokio:サトル(本郷奏多:kanata)はりターナーで金城武の
幼少期役もやってる子です。1990年生まれ。
キャスト陣の安定感のある演技と、全体のバランスのよさから
普通に楽しめる映画と思います。
見終わって・・
・工藤ジュン(多部未華子)のファンになりました。
・Hinokioキーホルダーが欲しくなった。
・主題歌のYUI「Tomorrow's WAY」もいい感じです。
特筆もののVFX
(2006-08-18)
このVFXはやっぱり特筆ものだろう、ハリウッドにできないことをいとも簡単にやってのけている!
秋山貴彦というのは映画『FINAL FANTASY』のCGディレクター兼VFXアートディレクター。非常に端整な映画に仕上がっている。
ストーリーのテーマはVFX=ヴァーチャル/リアルであって、「煉獄」というヴィデオゲームによって敷衍される。現実と天国(生と死)の間にあり、魂と肉体が切り離された世界(仮想世界)である「煉獄」をさまよう奇妙なゲームである。ゲームの目的(?)は、「煉獄の塔」にのぼって笛を吹くことでひとつだけ願いごとをかなえることにある。
しかし、ヒノキオを操ることでしか現実にコミットできないサトル(本郷奏多)自身は、もともとそのような煉獄に生きている。ヒノキオの操縦はいわば一方的な仮想世界だが、ボーイッシュな少女ジュン(多部未華子)たちクラスメートにとっては、ヒノキオは現実そのものである。サトルがヒノキオを通じてジュンともうひとりの少女と湖のほとりに横たわり、満天の星を眺めて交感する幻想的なシーンは、仮想世界と現実が最も接近する幸福な瞬間をとらえている。
だが、ジュンは仮想ではない現実のサトルを求めるようになるし、兵器ロボット(?)であるとクラスメートに告発されることによって、サトルはヒノキオという現実を受け止めざるを得なくなり、苦しむ。サトルはヒノキオを殺すことによって仮想でも現実でもない世界(死)に飛び立とうとするが、そこで死んだ母親にめぐりあったサトルは、母親(と父親)の愛によって、そして、同じとき別な場所で、彼のために仮想と現実とをつないだジュンの思いによって、ついに現実に立ち戻ってくるのである。
しかし、煉獄にいる母親が「地獄」(79年、神代辰巳)を主演した原田美枝子だというのは、まさか、偶然じゃないだろうという気がする(^-^;)