作品と各人物のターニングポイント
(2008-10-02)
作品全体を見ると歪さが目立つ作品です。
私がこの作品で唯一好きなシナリオがアスランの脱走を助けるメイリンの、ある意味始まりとも言える36話です。
存在としてはアスランのファンに近かったメイリン。アスランへの好意が起因になっての意外な行動は、私の彼女への印象を全く別のものにしてしまう程強烈なものでした。
元々、アスランとメイリンは身近に驚く程優秀な人間が居た事で自分の能力に認識が足りない部分があったのだと思います。メイリンの本来の力を引き出したのがアスランであるという事に、因果を感じをさせられますね。
作品全体のターニングポイントと言える様々な展開の詰まったこの巻は、デスティニーの中でも秀逸といえます。特に36話はラストシーンの美しさもあり、未見の方にもお勧めです。
あっ、やっぱりアスラン裏切った(笑)
(2008-08-30)
わかってたけどね。てゆーかメイリンは何なの?メイリンとルナマリアってアスランが好きなの?なぜ?そこがそもそも語られてないし。
シンは初めは(キラに比べ)まともな人間かと思っていたけど、無責任さと人殺しの自覚なさは同レベル。あんたらの軍にまともな人間はおらんのか!
ミーアが一番健気かな?必要とされたい、役に立ちたいという気持ちは誰にでもあるものです。アスランに偽善呼ばわりする権利があるんでしょうか?自分は二度目の脱走兵で元テロリストのくせに。何かこの作品で好きなキャラってネオくらい?やってることは悪いけど、上の命令に従う姿は軍人らしい。
シンがステラを湖に水葬…真っ先にFF7のクラウドとエアリスが浮かんだのは僕だけ?てかシンはあれで軍人なの?若いていう理由だけでは納得しがたい軍規違犯…
ハァ……何かイライラさせられるだけだし、他のレビューの方の言う通りファーストガンダムを借りてみた方が良さそうかな(笑)
ステラって誰それ
(2008-05-21)
キャラクターの心情の描写ができないSEEDが、ステラとシンの心情が
描けるわけないだろう。
「何いってるのかわかんない」と散々批判されてるSEEDシリーズなんだからさ、
シンとステラが恋愛関係かどうかなんてさっぱり解らん、全く理解できなかったぜ。
ステラが死のうが生きようが、悲しくも何ともなかったよ。
くだらない恋愛話にいつのまにか無理やり展開するなんて、おかしすぎる。
さすがSEEDはなんでもありだな。
ガンダムに萌えはいらない、他でやってくれ。
そうやって批判するの今回ほとんどいないんだな。
じゃあ、シンとステラの心情描写は普通にできてる証明となったわけだ。
都合のいい時は、こうなんだよな。やれやれ。
人気声優はいらない
(2008-05-19)
ガンダムには、人気声優は一切いりません。もうやめてほしい。
人気声優に頼らず、内容で勝負して下さい。
SEEDの時は、批判もそれなりにありましが、まだ静かにみれました。
しかし、この作品はシン・アスカの声優さんの熱狂的なファンの怒りを受けました。
シンが全く活躍できないからでしょう。気持ちも解りますよ。期待してたからね。
それを利用して、反SEED派のおもちゃにされてしまい、荒れまくる結果となりました。
制作発表のとき、きゃーって叫ばれてたのは、アスランとシンの声優さんのみだと
知ってるはず。
変な意地張らず、ファンに媚びて、キラを引っ込ませて、シンをかっこいい機体にのせて、
ヒーローにしておけばここまで荒れなくて済んだでしょうに。空気よんでよ監督さん。
ちなみに、コードギアスなんか声優ファン同士の罵倒ですごいことになってますよ(笑)。
日本のアニメ界のために、人気のない顔も悪い無名の声優さんの起用でお願いしたいです。
無名でも、実力のある方はたくさんいるでしょうからね。
声優ファンの争いせいで、アニメがつまらなくなるのは、もうコリゴリです。
ナチュラルの存在意義は何だ?
(2008-01-04)
ラクス、キラ、アスラン、カガリ、シン、ルナマリア、レイ、デュランダル議長など主要キャラの大半がコーディネイターというこの異常さ。
戦うナチュラルは一部のAA、カガリの部下、ムウ、エクステンデットぐらいのもので、その扱われ方もひどい。
コーディネイターの中でもSEEDに覚醒できる者とできない者とで明らかな差別が図られている。
ディアッカ、イザークが目立たないのも、デュランダル議長、レイが悪者にされたのもSEEDを持たないからか?と疑わざるをえない。
SEED[に覚醒できるのは脚本家のお気に入りだけというのも考えものだ。
ナチュラルの悲惨さはコーディネイターの比ではなく、完全にやられ役である。
前作の「SEED」(中盤ぐらいまで)はナチュラルの中で苦しむ主人公を描くことで見所はあった。
しかしこの作品ではナチュラルの扱いがあまりにひどいためその存在意義を問われかねない。
蚊帳の外に置かれたナチュラルの存在は一体何なのだろうか?単にコーディネイターの優秀さを際立たせるためのだけの存在か?
このアニメが見せたものは遺伝子組み換え大豆のように、より強い種のほうが価値が高く、弱い種は駆逐すべしということだったのかもしれない。
しかし遺伝子組み換えとは、時には弊害をもたらすものだ(例えば遺伝子組み換え大豆を食べたマウスは脳が縮小した)。
前作でラクスがコーディネイターは種の限界が近づいているという発言をしていたが、その問題は一体どこへいった。
その弊害を描かずして、ナチュラルとコーディネイターというセンシティブな問題を扱っても意味があるまい。
コーディネイター中心主義の監督、脚本家が関わらずに製作された「STAR GAYZER」はナチュラルの視点から物語が進行している。
SEEDの続編として扱うなら、こちらの作品をSEED DESTINYの代わりに展開したほうがまだ成功していたかもしれない。