満男の成長期
(2006-12-29)
満男が泉に、「男には美しい花を眺めていたいというタイプと、奪ってしまいたいというタイプがいる。」と説明し、寅さんが女性を射止められない理由を説明する。
とてもいい表現だ。
さらに博に、「就職のコトをそんなふうに考えるなんて不真面目だ!反省しろよ!」と説教する。
博は謝るしかない。
そして最後に、「おじさんの恋する姿を見ても、僕にはもう笑えない。おじさんを笑うコトは僕自身を笑うコトなのだから」
10代の少年をこれ程までに成長させるのは何なのだろう?
一つには恋なんだろう。
そして寅さんという、色々な意味での見本となる人物。
自分の「こうなりたい」という理想像を刺激してくれる、いい作品だと思います。
何を誰に「告白」したのか
(2005-09-10)
1991年作品、事実上の主役を満男に譲ってから三作目、1年1作公開になってからの2作目、シリーズ最後期のレギュラーな内容であるが、副題に「告白」というシリーズに似合わぬ言葉が使用されていることに注目すべきである、
劇のクライマックスは、寅次郎との再会を喜び、未亡人となった淋しさを紛らしたい吉田日出子と酌をかたむけるシーン、酔いが進み寅次郎にしなだれかかり身を任せようとする吉田を寅が”驚愕”と共に拒絶する場面であろう、劇は笑いと共に転換し、なぜ寅が吉田を拒絶してしまうのかは語られないまま翌朝を迎える、本作以前から寅次郎のキャラクターに関し一部では語られていたことがまさに劇化された重要なシーンである、
驚くべきは翌日に昨夜の事件を垣間見た満男の口から寅次郎の真実が言葉として語られることであろう、満男は後藤久美子演じる泉にこう語るのだ、「伯父さんの愛は遠くから見つめている愛なんだ」と、まだ幼さののこる泉には満男の言葉の意味はわからない、満男もそれ以上語りはしない、この場面で、どうして?と繰り返す後藤と表情を曇らせる吉岡の二人の名演技はもっと評価されていいと思う、おそらくは山田洋次の作品中で最高に残酷な場面なのではないだろうか、
評者はこの残酷さゆえに1989年以降第48作までをシリーズ中で最も愛し、かつては前売券を購入しロードショーを心待ちにするのが年末の恒例であった、(評者自身の夢想するシリーズのラスト・シーンは、満男の結婚式へ向おうとするが名も知れぬような無人の駅舎で客死、野垂れ死に、する寅次郎、である)
本作以後の寅次郎の”枯れ”具合を準備するためのシーンでもあり、なぜ寅次郎が恋慕中の熱意にもかかわらず失恋すればあまりにもあっさりとあきらめてしまう原因、”寅次郎の真実”が山田洋次自身によって観客に対して「告白」された一編なのである、