物足りないでがんす
(2008-02-07)
配役に不満もあり上手く感情移入できなかった事もあるけど
ストーリーが「たそがれ清兵衛」に被り過ぎて何で?似たような
流れの作品をまた作るのかなぁ・・・と。
やっぱ「たそがれ」と比べると物語りの根幹がぼけてるし
人物の相関関係も浅く緊張感が感じられない。それでも
幼なじみの松たか子の事をいとおしく想う気持は伝わって
きてジーンとは来るんだけどね。全体的にもうちょっと重みと
言うか厚みがある話にしてもらいたかったです。
永瀬正敏の演技は悲哀さが滲み出て良かったとけど
松たか子はミスキャストじゃないかな?演技が大根なのも痛いけど
健康的過ぎて貧困や苦労って雰囲気が出にくいキャラじゃないかなと。
藤沢周平映画の最高峰
(2007-08-25)
「武士の一分」までの一連の藤沢周平映画の中で、この「隠し剣 鬼の爪」がベストだと思う。
まずなんといっても、ヒロインの松たか子が素晴らしい。「女性の品格」という本が売れる
現代だが、このきえという女性は「品格」よりもっと大切な何かを仄かに薫らせ、愛おしい。
また永瀬正敏も良い。各作品の主人公の中でも、飛び抜けストイックで無駄な動きもなく、
田舎の小さな藩の下級武士という感じが一番する。
緒形拳も、各作品の悪役の中で最高のワルである。(最悪のというのが正しいのかな?)
監督は山田洋次でないが、「蝉しぐれ」ではとても善い人だったのでその落差が面白い。
さらに、タイトルは勇ましいが、立ち回りの時間は短くそれでいて深く印象が残るシーンだ。
後から思うと、こういう題名を付けてしまう事はリスキーだが、そうでないと見逃すほどだ。
いささか書き過ぎてしまった。
もう一度言う。松たか子のきえは邦画史の1ページを、ひそやかに飾るヒロインである。
三部作の中では一番好きな主人公です。
(2007-07-08)
●結構悲惨な荷物をしょわされてるのに淡々としていて清清しいです。●下手をすれば印象が残らない芝居かもしれませんが山場を作らない長瀬さんに対する演出が本当の芯の強さを体現しているようであとからじわじわと想いにふけりました。●色恋がらみの話もありますが物語の佳境では傍に誰もいません。あれほどなりふり構わず連れ出したあの人もあっさり別離しています。それなのにそんなことはおくびにも出さず着々と準備を整え最善を尽くします。●他二作はどうも女性の影が濃くちらつく主人公が登場しました。本作品は主人公の一番大事な時間に誰も寄り添っていないそこがなかなかハードでかっこいいです。●悪役がかなり俗っぽいのが気になりました。もう少しこちらが理解できる部分を残した方がよかったかもしれません。ああいう分かり易い悪は山田さんらしくないのですが、らしくないゆえに最後のシーンが快感です。一仕事終えた上でもうひとつの山場を作るにはあの人物設定でなければ効果ありませんね。●まるまるヒロインの影が抜け落ちた中盤の孤独感といい、ともすれば没個性に陥りそうなギリギリまで抑えた主演の芝居といい、終盤で見せ付けるトリッキーな技といい三部作の中でもかなり異色です。気になった方は是非ご覧ください。
たそがれ2だと思って観ないでください
(2005-10-09)
どうも邦画というのはリアリティに欠ける。例えて言うなら古参兵がマッサラな服を着て威張り散らしている。もっとくたびれた服を着ているなら納得するが、観ていていてこっちが恥ずかしくなる。
主役が好きで観たが、時代劇=山田洋次監督というのはどうなのかな?と思ってたけど杞憂に終わった。なんと永瀬正敏は本当にさかさきを剃り、下級武士の貧困さ、無精さ加減を味わい深く出している。本来、映画を作るなら徹底してその時代に誰がどういう思いでどの様に生きたかを細部にまで神経を使わなければならない。それがこの映画にはしっかりなされているところに、やはり山田監督は邦画を代表する監督であるとを思い直された。
ヒロインとの雪降る再開シーン、本物の雪のようでロマンチックだし、殺陣シーンは雨が降るのをそのまま撮影したためより迫力が出ている。方言も温かく、ジーンと染み渡る。
武士を捨てて悪を討つ最後の隠し剣は原作には書かれていない。その辺りもなかなか美味く描かれている。
黒澤監督が亡くなり、ああ時代劇邦画ももう終わりかと思っていたが、今は山田監督の次回作に期待する日々だ。
お恥ずかしいことだが持っているのにもう一枚買ってしまうところだった。
近代化の中で起きた、一つの物語
(2005-09-23)
たそがれ清兵衛との共通点は
・主人公が剣士
・敵も剣豪
・本人にやる気無し
・時は幕末
これだけ揃っているのだから、やっぱり前作を知っている人は
イメージが被る部分も出てくるのは当然かも。
しかし、個人的にはこちらの方が好きである。なぜなら主人公
の片桐が武士という階級を捨ててしまい、まだ見ぬフロンティア
に自分の夢を託そうとしているからだ。そして多分、幕末の動乱
に生きた下級の(半分農家と変わらぬような)武士にとって、
それはあり得た選択だったのじゃないかと思う。
片桐は優れた武術を身につけていたが故(あるいはその師匠も)、
己の武術が通じぬ世界の到来を予期していたのじゃないだろうか?
その予兆を目の当たりにしたとき、彼は決断を下さねばならなかった
のだろう。
正々堂々の武術ではなく、暗殺術の方がより効果的であるという点
も、なにか剣術という物が意味をなさなくなってきていると感じさせる。
また、敵役である男のギラギラした野心や妻の「この人は絶対に
大人物になる」という下りは、前作より更に時代背景を感じさせる
設定になっている。
片桐は結局階級を捨てたのだが、しかし武士としての気概や
そこから生まれる人間としての気高い倫理観は捨てなかった。
そして、それを持ちながら商業に生きようとしているのである。
もしかすると、そういった人間の思いが、近代日本の重要な
骨組みになっているのかもしれない。
こういう話に日本人が弱いのは、案外そんなところに理由があるのかも。