奇才・押井守が社会に問う!機動警察パトレイバー劇場版第二弾
(2006-03-24)
機動警察パトレイバーの劇場版作品第二弾
前作第一弾に続き監督の押井守による傑作となっている。
冒頭、東南アジアでPKO(国連平和維持活動)中にゲリラ戦となり、
本部の攻撃禁止命令によりレイバー小隊が壊滅させられる所から物語は始まる。
そして数年後、日本では横浜ベイブリッジの戦闘機による爆撃テロ、
東京空爆未遂のスクランブルが発生。
本作では前作より特車二課の活躍の場面が少なくなり
事件の背景や捜査のサスペンス的な要素が強くなっており
後藤第二小隊隊長、松井刑事、そして犯人と深く関わりのある
南雲第一小隊隊長と謎の自衛官・荒川を中心に物語は進んでいく。
そして現在は散り散りとなり各々違った形でレイバーと関わる元特車二課隊員の面々。
しかしテロ事件から、戦下のごとく自衛隊の戒厳令状態にまで発展してしまった雪化粧の東京を舞台に、
犯人を追いつめるべく再び後藤隊長の元へ隊員達が集結する。
前作同様、13年前の1993年公開とは思えない程
2006年現代社会の問題点を見事に浮き彫りにしている。
13年前は現在ほど身近に意識することはなかったテロ。
それをテーマにする事で、発展途上国の貧困や戦争の上に、
日本を含む先進国の経済発展や平和が成り立っている、と言う世界の現実を深く考えさせられる。
すぐ隣で発生している貧困や戦争の現実に、大半が気付かず、又は気が付かないフリをして、
この平和を当たり前のごとく過ごしている世界の現状に警告を発している。
だが最後に犯人は言う「この街の未来を見てみたい」
未来は我々一人一人に託されたと言う事か。
ある側面、これぞ日本アニメ
(2005-06-11)
いわゆるロボットアニメを望む人にはあわないかもしれません。しかしストーリーは非常に重厚で、日本アニメの一要件を備えています。
例えば、今も昔も変わらない日本の行政のレベルの低さや、国家間の冷淡な関係、不備ある法律に基づく自衛隊のPKFへの参加など、盛りだくさんに描かれています。
うちの大学の国際関係の教授(普段アニメは見ない)が、ゼミ生に見せたほどです。実際、国際関係を見る上で心得ておくべきことを指した台詞も端々にあります。
911以降テロが身近になりましたが、本作は日本でその状況になったら?をシミュレートした物としても、興味深く楽しめるでしょう。
管制官のおじさんの声が!
(2005-05-24)
影のMVPとも思ってるあのおじさんの声がちがってる!「こちら中空SOC。どういうことだ、南下中のFOC、すぐ引き返させろ」
あの素人くさい昔のほうがよかったなー。しかし相変わらず作品は名作ですよ。
つまらないです
(2005-03-15)
普通に映画として見るにはつまらないです。
とにかくアクション動画シーンは少ないし、序盤~中盤テンポも遅いカンジなので、よっぽど実験好きな人にしかお勧めできません。
車の中で会話しているシーンは特に眠りそうになります。
というか、当時の押井監督の実験だったんでしょう。
少なくともエンタテイメントではないです。
ブックカバーのように包んで、やたら肝心のディスクがとりずらいのが解せないし、かといってパッケージと一体化しているコンテも読みづらい開き方・・・。
販売の仕方にも問題が・・・。
コレを見るなら、旧作の1の方がおもしろいと思いました。
「Trebor, Say again.」
(2005-01-20)
OPのレイバーのシミュレーションで、野明のモニターに突然現れる猫。すぐにレイバーの脚を止める野明。これは機体の反応の検査だろうが、後の、鳥が撃たれる場面や、街中での危機状況で、犬は忘れられている、といった場面と対照的だ。全ての生き物を救う者としての‘ノア'。人が、自ら築いたシステムによって混乱する傍らで、別の視点に生きる動物たち。忘れられた存在は動物だけではない。荒川の言う「不正義の平和」。戒厳令発動の場面に黒人が描かれるのは、ささやかな政治的表現だろう。
鳥は戦争、或いは神の罰を暗示する。鳥の甲高い鳴き声と、戦闘機のミサイル発射音は、同じ音を発している。メインタイトル直前の、『地獄の黙示録』の引用的場面では、鳥の声が天の啓示のように響き渡る(再収録の音声ではより強調的)。片目が不自由な荒川の鋭角的な顔は、鳥のような容貌だ(荒川の目は、二二六事件の首謀者とされた北一輝が右目を失明していたのに倣ったのだろう。時計の日付が変わる場面を見ると、‘状況'開始は2月26日)。
対して、人に寄り添う目線の犬。監督は阪神大震災の報道について「ヘリコプターの視角じゃなくて、やはり地べたをはいまわっている犬の目がほしかった」と語っていた(『文藝』95年夏季号)。危険への警告としての、犬の声。
だが機械は、人自身を排除する。最新型レイバーに乗った遊馬は「腹や背に眼があるみたいで気持ち悪い」と言う。だが情報化には肉眼では追いつけない。荒川が車中で呟く「走ることで自らは限りなく静止に近づき、世界が動き始める」は、ヴィークルとメディアの、身体の拡張(マクルーハン)としての類縁性、それが実現する、不動の動者=神の視点の暗喩だ。
監督曰く「『パトレイバー』は傍観者の目線でつくった映画なので、当事者の目でつくってみたかった」(前掲)。『攻殻』では、当事者自身が鳥=神となる。