極めて純粋な欲望と自辱,
(2007-10-11)
作品への批評としてしばしば物語や現実との考証、スタッフロール直前の結果ばかりが取りざたされているものを見聞きする。確かに娯楽として成立させる上で、これらは決して軽視出来ないものであることは確かだが、それらを同じ物差しで測って良いというものでもない。また、娯楽を楽しむのであれば、より自らが楽しもうと貪欲であるべきだ。難しい事じゃない。映画が我々に何を見せたがっているのは何だろう?と少しばかり歩み寄れば、少なからず得られるもののみかたである。
さて、このイレイザーヘッドだが、この映像を見て既視感を抱かなかっただろうか?私は昨晩寝ている最中に、似たものを体感していた。夢だ。それも本作は悪夢という、デビッドリンチらしい良い意味での悪意でもって演出されていた。夢とは不条理そのものだ。どんな不思議で無根拠な出来事が、夢では当然の如く展開される。それが悪夢ならばなおさらの事である。
夢の中に色はない、物語も、結論も、テーマさえも存在しない、しかしそれが本質だ。
この映像は、映像であったから表現しえたもの。その必然性をもった映画なのだ。
映画が終了し、幕が閉じられ、照明が着けられた時、我々観客は「あ、夢か……」と、ただほっと胸をなで下ろせば良いのだ。しかし、自分の夢をこれほどあけすけにできるとは、デビッドリンチという人は、本当にマゾヒスティックで、愛せる人間だなあ。これは、私の個人的見解にすぎないが。
執着的な人物の振る舞い、脅迫的効果音、そしてステージ。あらためて見ると、確かに「原点」であることがわかる
(2007-04-07)
リンチの映画のなかでも一番気色悪い作品といえるだろう。
全編にわたって出てくる胎児は、実際にリンチが作ったもので本物の牛か羊の胎児を使ったとされている程皮膚のぬめりといい、眼、口、鼻とも非常にリアルで気の弱い女性などはちょっと見れないのではないだろうか。
いつの時代なのかよくわからない。人工チキンなどという言葉が出てくるから未来なのか、でも線路脇のワーキングクラスの貧しいアパートに住む男が主人公。好きでもない女との間に出来てしまった恐ろしい姿をした子供のおかげで結婚するハメになるが女は子供の猫のような鳴り止まない泣き声に神経衰弱になり早々に出て行ってしまう。
リンチの作品にでてくる人物達の行動には理由がなく、なにかに執着しているかのように衝動的な行動にでるときもあれば、自己満足的な幸せを表現することもある。また後の作品では効果音として使われる自然から採った脅迫的なノイズが、全編に流れている。
マルホランド・ドライブ、ブルーベルベットで出てくる「ステージ」もここでは登場する。リンチにとってはこの「ステージ」は何を意味するのだろうか。何かの「転換点」の象徴のようにも思えるのだが。
この作品を今あらためてみると、そういった要素が濃く出ており、リンチの原点としての作品であることを強く認識することができる。
完全版で追加されたのはおそらく幻想のシーンだと思う。古い記憶なのでさだかではないが、鉛筆工場のシーンはオリジナルではなかったような気がする。タイトルの元になったシーンであるが、なにか取ってつけたようなシーンで、あってもなくても良いと思う。
エンドレスな不安
(2007-01-11)
これ、三回くらい見ました。「言えてる」んですよね、映像が。分かりやすい話ではなく、映像も訳分からんくせに。誰もが見る(であろう)睡眠中の支離滅裂で不条理な悪夢・そういう感じが出過ぎ。下手に怖がらそうとストーリー性持たせた作り過ぎのホラーより余程怖い。何故なら人間何が一番怖いって、訳分からない不安とか訳分からない事そのもの・ではないでしょうか? うっとうしい声で泣き続ける部屋の隅の「子供」・奥さんは堪り兼ねてしまいには出て行き、どんなにグロくてもくそ可愛く無くても一応己の子供なんだからと、根気強く世話して居た主人公・・しまいにブチ切れて殺してしまいますが、その後、不安な顔の主人公のバックに巨大化した子供の顔が画面一杯に映るラストシーンは壮絶。不安なもの、うざい物を始末したって解決にはならない、時には短絡的解決は数倍になって押し寄せて来る・私の場合は、そんな風に見えました。これみたってしょうがないんだけど、なんか心の中のかさぶたをひっぺがすような、そんな気持ちで動く事も出来ずじーっと見てしまう。他の方はどう感じたか分かりませんが私はそんな風に見えました。快感は一つも有りません。不快を確認する映画でした。
奇形児ではない
(2006-05-16)
DVDブルーベルベットにある特典で監督や俳優の話を聞き、リンチ監督の映画に興味を持ちました。イレイザーヘッドは、監督の悪夢だと思います。映画紹介には、主人公の彼女が奇形児を産むと紹介されていますが、それは映画に出てくる赤子があまりにも印象的な姿をしているからです。しかし、奇形児という表現は赤子の見た目でしかなく、映画の主旨から外れていると思います。赤子が奇形だ、ということを意味する会話や表現は一切ありません。主人公ヘンリーの、自分の子供だと受け入れたくない心から生まれてしまった妄想の中の姿です。現実逃避が生んだ妄想から赤子殺しに繋がる過程をを監督の感性で映画にしています。
こわーいお話,
(2005-10-21)
ストーリーを追っていくと、ET,MIB,白黒で台詞の少ないところなどは「π」など、いろいろな作品が頭をかすめました。観るとおちこみます。楽しい娯楽作品ではありません。観てはいけないものを、密かに覗き見したような気分になります。
一度自分の目で味わってみてください。