何度見ても感服
(2003-09-17)
嘘のようにまぶしい青空で始まる。オープニングは、平凡な日常の断片であると同時に、後の暗い迷走を鮮明に描くための布石となっている。
希望あふれるカウボーイと、ならず者の2人を中心とした悲劇の物語…と簡単に片付けてはいけない。そもそもこれは物語というよりは、独白なのだ。
一見無意味な回想(?)と、不用意なフラッシュ・フォワードによって、過去は未来と、現実は幻想と融合する。本編に何の関係もなさそうな映像の挿入・繰り返し…、やがて一連のNY(そしてフロリダ)での出来事すらも夢であるかのような錯覚にいたる。また、いたるところに流れるNYの景色は、主人公たちを盛り上げるエキストラというよりは、それ自体が主役のようにも思えてくる。
そして何よりこの映画は悲劇なのだろうか。同時代の映画と同じように、この映画にも「救い」が散りばめられている。ラッツォは、軽蔑され、病に苦しみ死んでゆくみじめな人間ではあるが、そんな彼にもジョーによって(彼が最も望んでいた)「共感」が与えられる。一方のジョーも、単に希望破れた敗北者ではあるまい。ラッツォは彼に、彼にとって最も得難かった「諦め」を与えてくれるのだ。友の死の後、フロリダについたジョーの顔には、どこか微笑みが感じられる。それは、『卒業』において、主人公2人が新天地を目指しつつも、無計画で不安な眼差しをみせるラストとは対極を成しているように思える。
アンチヒーロー達の青春映画
(2002-12-14)
アメリカン・ニューシネマの台頭によって、1960年代末のアメリカ映画には現実社会に焦点を当てた作品がいくつも登場した。とりわけこの作品は、監督がイギリスからやってきたジョン・シュレシンジャーということもあって、かなり辛口の作品になっている。アメリカ物質社会の行き着く先には荒廃しかないということを、アメリカ人には踏み込めない冷徹な視点で描かれていて、これほどニューヨークが荒れ果てたイメージで映像化された作品もないだろう。シュレシンジャー監督は、仮借のないリアリズムである時代のアメリカの現実をえぐり出している。
カーボーイ
(2002-08-27)
とにかく、切なかった。自身満々で都会に出てきたのに、思うように何一ついかない。初めての都会は一人ぼっちで真っ暗だった。華やかに照らされた物によって作られた、その後ろの暗い部分だった。田舎では最高にかっこいいカーボーイだったのに。都会というその華やかさの幻想に打ちのめされ、精神的にも肉体的にも辛くなって、都会に無理やり適応させようとしているのに、どっかに正しい心があって、それが邪魔をする。でもその正しい心が妙に田舎臭かったりして、ホッとしたりする。でも最後は、そんな正しい心も無くなっちゃったりして.でもそれは、都会に適応できるようになったわけじゃなくて、ただ宙ぶらりんなポジションで正しい心を見失っちゃっただけで。そんな寂しさや、やるせなさのギャップからか友情が生まれた。お互いすさんだ状況じゃなかったら多分生まれなかった友情だ。ダスティン・ホフマンのネズ公は最高だ。いかにも、都会の負け組みで、すさみまくってる。どんなに頑張っても、あまり変化の無い、むしろ悪化する現実と、たいして高くないはずの理想の間で二人は苦悩しつづける。最高に切ないがゆえに、最高に好きな作品だと思う。
現実的過ぎて悲しくなる
(2002-07-16)
お金も教養もコネも綿密な計画も無いけれど、夢だけは大きく、自信満々で大都会へ出てきてみたら…。ストーリーがリアリスティックな上、俳優に演技力があるので余計に見終わった後に落ち込んでしまいました。個人的には映画なんだから、もうちょっと希望を与えるような内容でも良かったのでは?と思います。
丁度サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のように、公開された時代の雰囲気や初めて触れた時の年齢によって全く違う感想を抱かせる作品なのかもしれません。個人的には全く合わない映画でした。
男の夢
(2002-04-17)
テーマ曲を聴くと誰でも「アー」と思う有名な曲で始まります。
田舎町から出てきたカーボーイと足の不自由なリコとの友情と夢。
イカしてるつもりのジョンボイドと浮浪者同然のダスティンホフマン、2人の掛け合いが妙に印象深い演技です。そしてラストシーンは最高に悲しく最高に2人の夢を実現させています。