そもそも映画の意義とは?
(2009-01-08)
平和な三人家族の家庭に、
男二人が不条理な暴力を繰り広げる映画。
だけでは終わらず。
以下のようなシーンがある。
・劇中で加害者の男がカメラ(観客)に対して話しかける。
・これじゃ映画の尺に合わないと言って、暴力を続行する。
・一旦、過ぎたシーンをリモコンで巻き戻して、もう一度やり直す。
メタフィクションの形式を採っている。
ここから導き出されるメッセージは、
暴力的な映画に対する皮肉、ということになるのだと思う。
あんたら(観客)こういうシーンが見たいんだろ?
とか。
期待してるんだろうけれど、そうはならないぜ?
のような。
エンターテインメントとしての暴力的な映画に対する皮肉。
露骨で不条理な暴力を映像で振るい、
それが絶望的な暴力であるということから、
恐怖と暴力を学ぶことができる可能性がある、
という意味では成功しているのかもしれない。
けれど、この皮肉は、エンターテインメントとして暴力的な映画を見る
視聴者層にまで届くのだろうか?
という意味では疑問が残った。
そもそも映画の意義とは何なのか?
根本命題はそこにあると思うけれど。
ハネケさんはその問いにまでは、この映画で
言及できていない気がする。
(少なくとも自分にはわからなかった。)
アンチテーゼを打ち出すことはいいことだと思うけれど、
『かつてない新感覚』、
『サディスティック・ショッキング・サスペンス』といった
謳い文句で宣伝されていることで、視聴者を煽るだけ煽り、
根本命題にまで辿り着けないようであれば、
この映画ですらも、暴力的なエンターテインメント映画という
カテゴリーの範疇に収まり得てしまうのではないか?
またはファッションとして表層的に受け入れられてしまうのではないか?
メタフィクションという形式を採用することで、
新鮮な視点から映画を作ること自体は良いことだとは思うけれど、
方法論に囚われない方法で撮られたハネケさんの作品を見てみたいと思った。
現実は座ってこの映画を見ているあなたに過ぎない。
(2008-10-30)
過剰な演出はなく、ただ淡々と進行する。
カメラワークもこれにあわせて終始冷徹さを保ち続ける。
人生にドラマを期待する虚飾を一瞥。
人の欲望や希望を餌に肥大する商業主義に対し、
「そんな夢などは存在しない。」と言っているよう。
現実は自分で切り開いていくもの。
あなたはテレビやスクリーンの画面の前に座っているだけ。
事実は小説よりも奇なり。
現実があまりにも衝撃的なため
この映画を見ても他の方が言うほどのインパクトは受けなかった。
甘い期待を共有して、お互いに甘えあっている需要者と供給者との関係にはうんざりしているため、
そういった商業主義の映画よりは遥かにマシだと感じたが、
所詮はつくりもの。
明日も現実が待っている。
現実は自分で積み上げていくもの。
いい加減目を覚まさなくてはならない。
虚構は現実と同じくらい現実だ
(2008-09-06)
監督自身も語っていたが、この映画は人に嫌悪感を抱かせ、憤慨させるために作られた映画である。
理由なく続く暴力によっておこる悲惨な展開、家族が何ら抵抗できずに殺されるという救いのないストーリー、それらはすべて観客に暴力が残酷な行為であることを再認識させるためである。
それによって多くの人はこの映画に嫌悪し、憤り、暴力の酷さや人の痛みを再認識できるのである。
その目標は十二分に達成できただろう。
しかし、ちょっと待ってもらいたい。
あのリモコンは何だ?
巻き戻しってどういうこと?
真剣に見ていた人の多くはその場面でずっこけたであろう。
あのシーンを見たあと私は真剣に見る気をなくした。
いやほんとにがっかりした。
途中まで本当にいい作品だと思ってたのに・・・。
あのシーンだけがこの映画唯一の笑いどころになっている。
要は観客が監督にからかわれたのだ。
しかし、その悪戯があったからこそこの作品は埋もれることなく多くの人々に見られたのかもしれない。
これは一体・・
(2008-07-27)
宣伝文句につられて見ましたけど。この作品のどこがいいのでしょう?全然です。こういうパターンの映画は今までどれだけあったでしょう。暴力の非情さ、不条理さ、無念さ、この作品はそれらをただ羅列してるだけで見ている側に何も訴えてきません。見るだけ時間の無駄です。最近の作品だったらクローネンバーグの「ヒストリーオブバイオレンス」を何度も見るほうがどれだけいい時間を過ごせることか!
不愉快で悪趣味で健全的
(2008-07-06)
映画館で観ました。本当にショッキングでした。
何も考えずに観たら、この映画は単なる「不愉快で悪趣味な映画」かもしれません。
しかしよく観ると、ここまで計算されつくした、完璧な映画は他に無いのではないかということが分かります。
僕はキューブリックの再来かとさえ思いました。
まずは傍観者に徹するカメラ。監視カメラのようにカメラには感情がありません。
でも一部、まるでオロオロとしているように左右に振れるところもある。
悪役がたまにカメラ目線になることから、もしかしたら犯人は3人いるのかも。(3人目は観客)
実は流血や死体などの直接的な描写がなく、グロイ映像は一切無いのに、ここまで人を不愉快にさせる匠すぎる演出。
中でもセンサーで点灯する照明を使った恐怖の描写は圧巻でした。
そして、この手のホラー、サスペンス映画の定石を、ことごとく外す緻密な脚本。
あまり言うとネタバレになるので書きませんが、観客が予想する「こうなって欲しい。」「こうなるんだろうな」という展開をことごとく裏切ります。
逆に「こうはならないで欲しい」という展開はそのままだったり・・・
一度だけ定石通りの展開になり、主人公が悪役に一矢報いるシーンがあります。
が、それを無かったことにする巻き戻し!(観れば分かります)
まるで「こうなって欲しかったんだろ?でもそうはいかないよ」とあざ笑っているようです。
暴力とは本来不愉快なもの。
この不愉快で悪趣味な映画は、今、巷に溢れているハリウッド映画のような、
主人公がカッコいいアクションでバッタバッタと名も無き敵を殺す映画。
そこには何の痛みも、命の重さもなく、むしろ人を殺すことに爽快感が得られるような映画より、よっぽど健全的なはずではあるんですがね。