20世紀最大のテーマHORRORを掲げて
(2008-09-12)
暗示的な映画だからいろいろな見方があります。この作品は表面的にも面白いのですがその深みをつかんでいただく助けになればと自分の勝手な思いこみを以下に公表します。立花氏のは読んでません。コンラッドと特典映像だけが本作の参考書でした。「地獄の黙示録」はオリジナルも完全限定版も十分理解可能だというのが私の結論です。この映画のテーマは「20世紀最大のテーマHORROR」=みんなが平和を求めても戦争がなくならないシステムの存在
原作の発表、ベトナム戦争、映画の封切、特別完全版の発表と1世紀にわたるコンラッドからコッポラまでの共同作業がここに完成。オリジナルのド派手なエンディングクレジットを気に入ったのだがそれで観客が結末を誤解したため特別完全版では変えられたことを知り驚いた。satisfactionをバックにランスが使ったボードの由来、プレイメイトの悲しい結末、移植したフランスの人々に関する話が追加されて映画は個々の関連が明確になり『ゴッドファーザーのコッポラ』らしい作品に変化した。しかしこの映画の本質はもともと戦争映画の枠を超えて極めて哲学的でありこれらの変更においてもなんらそれは変わらない。
戦争システム 人間には動物の本能としてhorror(生命の存在も消滅も意図がないこと)が存在する。(カーツはかつての作戦における原住民を見てそれに気づく。)人間は自衛としてhorrorに対して文明を築くが、自然・非文明の営みと合わなくなり不条理が生まれる(たとえば南北ベトナムのイデオロギー対立だ)。そしてその不条理を埋めるため必然的に形成された(カーツ、ヒトラーなどの)宗教やカリスマが本来孤独な個人を戦場へと送り出す。そういう図式ができてしまうと各個人が平和を希求してもなかなか結実せず悲劇が連鎖するようになる。
私たち全員がhorrorを持っているという事実に無関心な指揮官はカーツを理解できず、彼の行為を不道徳的なものとして憎悪する。しかるに彼らは同時に戦争というシステムで非倫理的な行為を遂行する人たちでもある。戦争の本質を露わにするため映画はhorrorを避けられぬものとして描き、horrorの権現であるカーツを主人公とする。かつて極めて知的な人間だったカーツがhorrorにうちのめされhorrorに意識的な言動を続ける(この部分がカーツとクルツが微妙に異なるところ)。「恐怖を友とせよ」、「裁きは敗北をもたらす」という言葉は(クルツではなく)カーツの名台詞であるが戦争の起源とそこから勝利を得る方法をカーツが正しく認識していた証である。さらにheart of darknessにおけるクルツの重要な台詞をそのままカーツの台詞として採用した結果同じ戦争を題材にした「プラトーン」etcに比べて格別の深みをもつ戦争映画になった。、、、プラトーンも名画ではあります。
エンディングクレジットについて「残念なことにオリジナルは深い意味なく入れたセットの破壊映像によってウィラードがカーツの指示を遂行し非武装化した王国を爆破したと観客に誤解された」とコッポラは言っている。つまりウィラードはカーツの指示を遂行せず王国を武装解除したというのがコッポラの意図した筋書きになるのだがどちらの筋書きでも良いのではないか。この映画の難解さは日常の私たちが意識できない心の奥に潜むhorrorを映画の中心としたことにあり、最後にウイラードがとってかわって王国の主人になろうが、何もせずに逃げ帰ろうが、はてまた破壊しようがhorrorと向き合えないウイラードが残るわけで主題に与える影響は大差がない。特別限定版のウイラードはカーツとの対面によりhorrorと向き合った男に変化して武装解除するという点を明確にしたが、それでも制作者の意図に反して「やっぱり平和ってことだよね」という安易な反戦映画と誤解され(それでは文芸作品としてコンラッドの原作にはるか及ばぬものになり)かねない。描きにくいhorrorをいかにしてみせるかで脚本に苦心し撮影中に荒れ狂ったコッポラこそコンラッドに近づいていた男であり、おそらく特別限定版を編集した彼とは別人だった。しかしこの映画の本質は哲学的でありすこしばかり変更されてもなんら影響なく高く評価できる。つまりどちらのバージョンを愛しても同じテーマを享受できるし、人間の脆さに無関心な人にとって永遠に難解な映画であることに変わりはない。
ヴェトナム戦争を舞台としたRPG
(2008-08-17)
初めて見た時は私も中学生でした。全く意味分からずだったけど、あのコッポラの映画だからと必死にこの映画の言わんとすることを考えたけど、よくわからずに大人になってしまった。
しかしその後この長尺版を見て、そうかなるほど!、とこの映画の意味を理解したのは、この映画の公開当時にはなかったビデオゲームのRPGを知ったからと、古今東西の多くの英雄物語が同じ構造の筋になっているということを知ったから。日本の桃太郎もそうだが、主人公は旅に出る→仲間ができる→最後に鬼=王=悪の帝王=ボスを倒す、という構造がこの映画にもあてはまる。どなたかが「小さなボートに乗り合わせた男たちがたどる「旅」を描いたロードムービーだ」とおっしゃっていたのは、正しい理解だ。
主人公の前に次々と現れるユニークなキャラ、それらをクリアして最後のステージでカーツを倒してゲームオーバー。このおもしろさを味わうには、途中現れるキャラを省略しては面白みも半減するし、RPGの意味が分からなくなってしまう。RPGは最後の敵にたどり着くまでが面白いのである。特別完全版で正解です!
一体人間とは何なのだろう。
(2008-08-13)
待ちに待った完全版、でも3時間超えはかなりキツイです。それでもこの映画を映画館で観れて良かったと今でも満足しています。ヘリのローターの音が聞こえてきて「This is the end」で始まるオープンニング。カーツ大佐を暗殺しに行くウィラード大尉。途中でベトコンの村を強襲するシーンはもう迫力満点。CGなどの特撮も一切なし。大尉もまだこの時点ではサーフボードを盗んだりして任務の深刻さが分かっていないのが印象的だった。アメリカ国防省からも全面非協力という環境の中よくぞここまでベトナム戦争を舞台にしながら人間って一体何なのだろう、という疑念が川をさかのぼる大尉たちの旅とオーバーラップした作品を作れたものだと感心します。M・ブランドは全然減量してなくてブクブクの体で撮影に臨んだらしいが顔のアップ以外は代役を使っていたとは全く気がつかなかった。
この映画そのものがまるで人間の黙示録みたいな作品でした。
「チャーリーはサーフィンなどせぬッ!!」
(2008-06-10)
(Charlie don't surf!)
「何故それを早く言わん?
このクソまみれの国にイイ波なんかなかったぞ
ちくしょう、6フィートの波か……」
(Why the hell didn't you tell me that before?
There aren't any good peaks in this whole,
shitty country.
It's all goddamn beach break.
Six feet...)
「貴様にサーフィンの何がわかる?
ニュージャージー出身だろうが!!」
(What the hell do you know about surfing?
You're from goddamned New Jersey.)
「オレが
このビーチでサーフィンをしても
安全だと言ったら、安全なんだッ!!」
(If I say its safe to surf this beach Captain,
then its safe to surf this beach.
I mean I'm not afraid to surf this place,
I'll surf this whole f●cking place!)
「奴らを石器時代に戻してやれ!」
(Bomb them to stoneage, son.)
「分かるか?
このニオイが? ナパームだ。
朝、嗅ぐナパームの匂いは最高だ。」
(I love the smell of napalm in the morning.)
本作は、ロバート・デュヴァル演じる「キルゴア中佐」にだいぶ助けられている。彼あっての『地獄の黙示録』である。
これでもまだ完全ではない
(2008-06-08)
大好きな映画でこの特別完全版も購入したのだが
封入されているブックレットを参照するとオリジナル版は
4時間30分もあったらしい。ってことはこの版もまだ完全ではないんですね
DVD化は困難かもしれないですがいつの日か完全版をみたいです
当時のフィルムが現存しているならぜひ実現してほしいです
とはいえ、この特別完全版を観ると謎だった部分がかなりわかります
さすがは、コッポラ監督です。