スタンリー・キューブリック原案の作品
(2007-10-14)
スタンリー・キューブリック原案の作品をスピルバーグが引き継い
で完成させた作品。全体の話は面白くない。ロボットが人間になりたい、とい
う話の元が結局、ピノキオというのが。スピルバーグの世界観は結局ディズニ
ー世界から抜けきれていないからだ。キューブリックだったらどうなっていた
だろう、と考える。ピノキオという話は持ってこないし、前半のマーティンと
の喧嘩ももっと深みのある話になったのではないだろうか。
ビジュアル的には、ごみ捨て場に現われる月面を描いた気球のシーンが前半
の印象的な場面だが、その後のジャンク・フェアの場面、海中シーンはあまり
面白くない。氷原を飛んでくる箱型の飛行艇の動き、デザインは面白い。遠未
来の感じがして。デイビッドを初めとするA.I.メカは、透けている描写は驚い
たが、デザイン的には面白くない。
お涙頂戴、ただそれだけ
(2007-01-29)
期待を胸に映画館で見てラストの展開に唖然としました。
出た後に喫茶店でボロクソに文句を言ったのを憶えています。
後に知人からこの映画はキューブリックが映像化するはずだったと聞いてそちらに興味は持ちましたが、僕にスピルバーグの新作はもう見ないと誓わせた作品です。
人間になりたいという夢を追って辿り着いたマンハッタン、そこで作者と再会して人間の心を完全に再現したA.Iとして称賛を受ける。「僕は人間になったんだ」そう喜んだデイヴィッド。
しかしラボの奥には商品化を待つ「デイヴィッド」の姿を見かけ、再び自分がロボットであるという現実を噛みしめ、絶望して身を投げる。
物語がそこで完結していれば泣けたかも知れない。
ピノキオの未来版リメイクをロボット3原則の破棄で閉めくるるという意外性のあるラストなら納得がいった。
・・・その後に続く無理矢理のハッピーエンドへの布石は完全に蛇足でしょう。
キャストは豪華です。映像も綺麗です。しかしそれはスピルバーグの手腕と言うより彼の財力のなせる業でしょう。
この映画で泣いたという意見を見かけたので一石を投じておきます。
泣けたのはハーレイ・ジョエル・オスメント君の熱演に感動したのであって、この映画に感動したわけではないと思いますよ。
感動できるが…
(2007-01-28)
この作品はもともとスタンリー・キューブリックが撮るはずであったが、亡くなってしまったためにスピルバーグが代わりに撮ったそうだ。
確かにこの作品の映像は美しいし、感動できる。
しかしキューブリックはこのような作品を作りたかったのだろうか?
私は違うと考える。
おそらくキューブリックは『AI(人工知能)』を観念的、哲学的に示したかっただろう。(2001年宇宙の旅のHALしかり)
このスピルバーグの作品ではAIに対する倫理的なメッセージしか込められていない。
不可能だとわかっていてもキューブリックの撮った『A.I』をみたいものだ。
は
(2006-10-18)
鑑賞後の感想は「怖い」でした。何か胸がザワザワするような。
ピノキオのようなお話で、最後は一見幸せな結末に見えますが
自己中心的な愛情から造られた人形(ロボット)が
自己中心的な愛情から人形(人間)を作ってしまった――怪談みたい。
自分の寂しさから(プログラムという強制的な方法で)自分を愛してくれる
子供を造った母親と、その母親に愛される事だけを求めて
子供を愛しているという操作を受けた母親を作る子供。
本当に子供が母を愛しているのなら一日の充足感のために一日しか
生きられない人間(母)を作り出すとは思えないのです。
そう考えると、あまり爽快感も感動も無い結末ですが、
色々考えさせられた事を思うと、一見の価値はあるかと思います。
ピノキオとの違い
(2006-08-06)
ピノキオとの決定的な違いは、ピノキオは結局は「お爺さん」という保護者の下での幸せな生活を手に入れるのに対し、この作品では決してそういった状態には戻れないということを突きつけている点だ。
そう考えると、これはロボットと人間の関わりというよりは、人間が成長していく過程を映画にしたものとも読める。
「家族」という無条件に自分の居場所がある状態から、母親の愛情を競う相手が現れ、結局は親離れしなければならない。また、その後世の中に出れば、「特別な」存在だったはずの自分が、実は交換可能であったことに気付かされる。
母親の愛情に保護されていた甘い生活は、世界が終わってリセットされた「どこでもない場所」でしか実現できない。
はっきり言って、ヒューマニズムとは無縁の、苦い現実を突きつけるような厳しい映画である。だがそれゆえに観る価値があるのだが。