同じ表現多すぎ
(2008-08-25)
「まるで」や「と思う」
が三十回以上登場します。
台詞があまりなく、状況描写や心理描写が多いとしても
同じ表現ばかりで飽き飽きしました。
キモカッコイイ新海誠
(2008-08-01)
ひょっとしてライトノベルやケータイ小説の世界では、こういうペラペラな
キャラクターが普通で、そこに脊髄反射的に「感動」するのが、ゼロ年代風
なのかもしれませんが、門外漢のおっさん読者としては、これは怪作という
しかありません。
第一話で、中学1年生カップルなのに、「貴樹くん」「明里」と呼び合うの
も、相当キてるし、第二話のヒロイン花苗の造詣もスゴイ。タカキくんをた
だ好きで好きで、でも結局告白できず、涙とともに眠ってしまう少女(お願
いだから、どうか。もう −優しくしないで)。
そして第三話。若さの恋もいくつか経験したけれど、でも相手の誰をも少し
も幸せにしてやることができなかった。ぼくが欲しているのは、ただただ
単純な承認の言葉「貴樹くんは、これからもずっと大丈夫だよ」だけなのに。
これをキモイと呼ばずして何を呼べばよいのでしょう。おいおい、こんな
作品に「感動」するなんてまさか本気じゃないよね、と言いたくなります。
しかし。
少し間を置いて、考えなおしました。このキモさを限界までしれっと表現で
きるのは、ある意味、作家性といえるのかもしれないと。ひょっとすると、こ
の過剰な抒情を徹底して突き抜けたところに新しい境地があるのかもしれな
いと(ないかもしれませんが)。
そんなわけで、キモカッコイイという新しい言葉を作ってみました。新海ファ
ンには不評でしょうが、一つの見方としてアップさせていただきます。
素晴らしい作品です!
(2008-07-30)
DVDを最初に見て切ない気持ちになりましたが、小説では、彼や彼女達の思いが詳細に書かれており、あのラストには救われました。
あの人は踏切の向こうで待っていてくれる気がします。
淡く切ないストーリー
(2008-07-29)
◇映画「秒速5センチメートル」が原作。同映画の監督が小説化したのがこの作品。山崎まさよしの「One more time, one more chance」が主題歌。
◇映画版を先に見て、小説を読むのがお奨め。
◆映画版では主人公の独白(ナレーション)に違和感を感じた。そのナレーションのために感情移入が阻害されているような感覚である。それが小説版では見事になくなっていた。言葉は一言一句同じであるにもかかわらず、である。映像と小説というメディアの違いで受け取り方がことなるからかもしれない。それを考えると、映画版では余計な独白(ナレーション)など入れないほうがよかったのかもしれない。で、小説版で「あのシーンはこういうことだったのか」とか「こういうことを考えていたのか」と分かるような流れがベストだったように思う。
◆映画・小説を通して、「One more time, one more chance」のコンセプトが通底している。自分はこの曲を死別の曲だと解釈していたのだが、思いを残したままの生き別れという解釈も可能であると分かったことが新鮮だった。その意味で自分にとっては「One more time, one more chance」の"一解釈"として認識されている。
ぜひ、映画を見た人は読んでもらいたい。
(2008-07-20)
ぜひ映画を見た人には読んでもらいたいです。映画では伝えきれないこと、観ている人に任せている部分を新海誠氏なりに補完している作品です。
私は就職試験を受けるため東京へ行った、その帰りの新幹線の中でこれを読みました。慣れない東京で一人歩いている自分と貴樹を重ねてしまい、つい胸が苦しくなりました。
正直に申し上げて、よしもとばななのような文章力は新海氏にはありません。でも、それでも心に訴えてくるものはありました。
特に映画を見た人は貴樹と明里と澄田とそのほかの人々の考えていたことが描かれており、不明確だった彼らなりの「答」を知ることができると思います。貴樹の高校卒業後についても詳しく語られていますし、映画の最後のシーンについても貴樹の一人称で語られていまして3話目の「秒速5センチメートル」は少し印象が変わるんじゃないでしょうか。
おそらく誰でも経験している、出会いと別れと未熟さとその他色々なモノをひっくるめて人生なんだなぁ、とこれから社会の荒波に揉まれることに恐怖してますw