ただアニメとして面白いだけでなく、僕らの世界へ伝えることを込めた映画
(2008-12-13)
いろんな要素が詰まっていて、それらがひしめきあわず、ちょうどよく結合され美しい結晶となったような作品だと思います。
強欲の象徴である湯婆婆(ゆばーば)。わがままの象徴である坊。和解の象徴である銭婆(ぜにーば)。さみしさの象徴であるカオナシ。そして途中で出てくる河の神様(最初はクサレ神と呼ばれる)は我々人間に河を大切にと暗黙的に伝えている。不思議な青年ハクや仕事の先輩となるリンの助けを借りて千尋は迷い込んだ世界に次第に順応していく。働かなければ生きていけない油屋という場所は現実の世界と重なり、働くことの大切さ、辛さ、そして喜びを描いてる。
今までのジブリ作品とは違ったものがあると思います。幻想的で摩訶不思議な世界。その映像がとても新鮮です。そして僕らの生きる現実の世界に対するメッセージが込められ、ただアニメとして面白いだけでなく、意義のある映画だと思いました。
子供と100回以上見ました
(2008-11-27)
「カードも財布も持ってるし」という 豚にされる前のお父さんの言葉。お金さえ出せば何でもありなのか?
いろんな場面でのお辞儀(bow)。
かまじいさんに「お礼を言ったのかい?」と千尋に促したリンの言葉。
現代人の忘れかけた『礼儀』をテーマの1つに感じました。
「そんなにいらない、ひとつでいいの」と言った千尋の言葉。
川の主の刺さった刃物を抜き取った時の川の中に捨てられていたガラクタ(自転車などの)の山。
メッセージをたくさん感じました。
子どもと見たい作品です。
私にとって最高作品
(2008-11-17)
ストーリー設定、キャラクター、印象的な台詞の数々、スリリングな展開などジブリ作品の最高作品だと思ってます。
宮崎駿監督の随所に感じ取らせる展開と映像の仕掛けは最初から中盤まで、とてもわかりやすく引き込まれます。
ハクとの縁、自分を取り戻す瞬間は今でも感動します。千尋は自身を取り巻く出来事に立ち向かう勇気や決意、独り立ちをみせてくれた…ひと夏の成長を可愛らしさと共に、爽やかさを感じるファンタジーで感動します。
ただ、劇場の色彩が再現されてないのが至極悔しいです。
某所の書き込みが参考になった
(2008-09-06)
某所の書き込みで興味を持ち映画を見ることにした。某所の書き込みとは、ポニョについて述べたものだったが、それに伴って千と千尋についても若干の言及があったので、視聴した。
さまざまな解釈がある、この話。
その諸所に神話のお約束があるらしい。
あちらの世界の食べ物を食べると同化するとか、帰るときに決して〜をしてはいけないとか。
神話を読み解けば、宮崎映画の奥に至るかもしれない。
「破壊的創造」
(2008-07-06)
【今作の2つの特徴】
1、『フリードローイングスタイル』
『フリードローイング』という、創作法がある。
特徴は「『帰納法』で創作しない。という事にある。
最初に「こんな作品にしよう」というをイメージを確定させて、その最終点に向けて、「全てが収束していく」創作法が『帰納法』である。
今作はその対極にある「創作法」だ。
作家は「出来上がった作品」を観て、初めて「こんな作品になったんだね」と分かる。
水(作品)を流し続けて、それが排水溝(最終点)に流れ込んでいくのが『帰納法』。(鑑賞後に生理的に爽快感がある反面、ひっかかりがなく「何かが残らない」のが特徴)
水(作品)を流し続けて、それがテーブルの上を広がり続けるのが『フリードローイング』である。(鑑賞後に、論理的に考えてつじつまの合わない箇所が発生しやすく爽快感がない反面、ひっかかりが「残る」のが特徴)
「もののけ姫」にその傾向は若干、散見されるが、それでも「もののけ姫」にはお話の展開法に「起承転結」に近いものがある。
今作は「宮崎駿の創作スタイル」がついに全面解禁されているようだ。
「もののけ姫」という、難物を創り上げ、その反動に近い「開放感」が今作にはある。
今作もまず「イメージボード」から作品を発想。
「面白い絵」を描くことに、まず専念。
明らかに「話の流れ」に比重を置かず、「映像重視」だ。
「映像博覧会」を繰り広げるのに、「ファンタジー」という枠が上手く機能している。
鈴木プロデューサー曰く、「今作の約半分は油屋を見せるシーン」に割かれているのである。
映画が始まって約1時間が舞台設定を見せる「起」のパートなのである。
この時点でいかに「骨法破壊」な作品か分かるというものだ。
今作がいかに宮崎駿にとって「実験的でスリルに満ちた作品か」が分かる。
2、『きっかけ映画』の方向性
今作のラストシーンにその狙いが一番、濃い。
あまりにも「余韻を残すまい」として、スパッと終わる。
古今東西いかなる「エンターテイメント作品」でも若干の「感動させてやろう」とか「泣かせてやろう」という作為がエンディングには垣間見える。
「余韻を創る」のだ。
「そんな居心地のいい作品世界を構築して、トトロみたいに年に何百回と親が子供に観せる現象が起きることは逆に「弊害」であり意味がない」という、宮崎駿の声が聞こえてきそうである。
そうではなく「この作品が子供達にとって現実の生活に「何かを発見する為のきっかけ」になることが好ましい」という主張がみえる。
カメラアングルも実に「客観的」に被写体を捉える。
アップショットよりもロングショットのほうが断然多い。
これも「作品への没入感」を軽減させるのに一役かっている。
この「きっかけ映画」のスタイルは今作以降の「ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」にも貫かれているように見える。
そのある種の「カタルシス」や「感動」の「意図的な喪失」がオールドファンには「物足りなさ」に直結しているのだろう。