冒頭、非常に遅いテンポのメロディーから、しみじみと心に響くリヒテルのピアノです
(2007-08-03)
シューベルトの死の年である1828年に作曲された、ピアノのための最後のソナタ。全4楽章のうち、音楽、演奏とも、前半2楽章が断然素晴らしいですね。
たっぷりとした遅いテンポで奏でられてゆく第1楽章冒頭のメロディー。思わせぶりであるとともに、思いの限りをこめて綴られていく音楽が、しみじみと胸に迫ってきました。
第2楽章は、全曲の白眉。宝石のように美しい粒立ちのピアノの音に乗って、味わい深い音楽が流れ流れてゆく・・・・・・。なんて美しく、素晴らしいんだろうと魅了されましたねぇ。リヒテル、さすがの名演奏です。
録音は、1972年の8月〜11月にかけて。ザルツブルグ近郊のアニフ宮殿にて。リヒテルの名演として忘れられないバッハの『平均律クラヴィーア曲集』の録音(1970〜1973年にかけて)と同時期に演奏されたもの。
この曲の名演として、聴き逃すのはもったいない一枚。しみじみとしたシューベルト最晩年の音楽の味わい、ピアノの美しい音など、春宵一刻値千金的リヒテルのピアノの調べが心にしみます。
希望と絶望の交錯を受け止める包容力
(2007-01-06)
かつて小林秀雄は、リヒテルが来日した際にこの曲を聴いて、
「これは西行の『願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ』という歌のようだね」
と語ったそうです。
遺作ということもあり、この曲から「死」のイメージをぬぐいさることは容易ではありません。
アファナシエフのように、死の床に横たわった自分をもうひとりの自分が凝視しているような
演奏もあります。
実際、第1楽章で聴かれる不協和音は、死との和解などありえないのだと脅しているかのようです。
甘美なメロディはしばしばおどろおどろしい低音の響きによってさえぎられます。
リヒテルの演奏は、このような希望と絶望の交錯をしっかりと受け止め、その上で
「断念することをほんとうに知っている者のみがほんとうに希望することができる」(三木清)
という境地に聴く者をいざなってくれるかのような、包容力と強い構成力をもった演奏です。
この曲を聴こうという方にまずお勧めしたい一枚です。
グールドが絶賛したリヒテルのシューベルト
(2006-06-02)
『エニグマ』と言ふ、リヒテルについてのドキュメンタリーが有る。その中で、グールドが、リヒテルのシューベルトについて語って居る。要約すると、先ず、彼(グールド)自身は、実は、シューベルトのピアノ・ソナタを余り高く評価して居ないのだそうである。ところが、そのグールドが、リヒテルの演奏で聴くシューベルトのピアノ・ソナタだけは別だ、と言ふのである。
シューベルトのピアノ・ソナタを余り評価して居ないグールドが、リヒテルが演奏した場合に限っては、シューベルトのピアノ・ソナタを賞賛して居ると言ふ事実は、リヒテルのシューベルトが、いかに非凡な演奏であったかを物語って居ないだろうか?
リヒテルのシューベルトでは、即興曲やピアノ・ソナタ19番も素晴らしいが、この21番も本当に素晴らしい。リヒテル以外にも、シューベルトの演奏で素晴らしい録音を残したピアニストは少なくないが、リヒテルのシューベルトは、別格と言ふ気がする。−−神の音楽を聴いて居る様である。−−リヒテルの演奏を聴かずに、このピアノ・ソナタを語るべきではないと、私は思ふ。
(西岡昌紀・内科医)
いいです
(2006-05-08)
グールドの立体的演奏やグルダのしなやかな演奏などに比べると
リヒテルは重い、遅い、旧世代の演奏家というイメージでしたが、
この演奏はすごいです。
第3楽章のスピード感、第4楽章で超高音の和音を出しきる強靭な指、
まさにこれが巨人と言われた所以かと思わせる演奏です。
「最高にして最強の音楽伝道師」
(2005-06-14)
楽曲の美しさを引き出すことに関しては天才的なリヒテルですが、シューベルトの様に元々美しい楽曲での演奏は、単に美しく弾く以上の「何か」を私達に伝えてくれます。
個人的にはモーツァルトやバッハは演奏によってかなり曲の印象が変わり、とりわけシューベルトはその最たるものではないかなと思います。リヒテルはシューベルトの楽曲の本質を完全に掌握している様に感じます。何とも素晴らしく、聴き終えた後の充足感は他のピアニストでは味わえなかったです。
グレン・グールドはこの演奏を聴いて「最高にして最強の音楽伝道師」とリヒテルを称したことはあまりにも有名ですが、このコメントからも演奏の完成度の高さをうかがい知ることが出来ます。